2016 Fiscal Year Annual Research Report
イブン・スィーナー没後の中東におけるギリシア系医学の展開
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16J03502
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Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
俵 章浩 慶應義塾大学, 言語文化研究所(三田), 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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Keywords | イスラーム / イブン・スィーナー / 医学史 / 科学史 / イスラーム哲学 / アラビア哲学 / 思想史 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究はイランの哲学者・医学者であるイブン・スィーナー(980-1037年)以降のギリシア系医学の中東世界における展開を明らかにすることが目的である。イブン・スィーナーの著書である『医学典範』は中東世界におけるギリシア系医学の集大成であり、これへの注釈書を読み解くことで研究の目的を達することができる。注釈書の中でも特にクトゥブッディーン・シーラーズィー(1236-1311年)のものに注目した。これは『医学典範』注釈のなかでも最大級のものでありながらこれまで研究がほとんど行われていないからである。この研究の実施にあたり、まずは写本の入手から始める必要があった。日本国内での事前調査の中で、複数の写本カタログを見る中でイランに多数の写本があることが判明し、さらに東京大学東洋文化研究所所蔵のイラン図書館所蔵写本カタログを用い、所蔵点数やアクセスのしやすさの点で、テヘランの複数の図書館を回ることが最も効率的であるとわかった。2016年9月後半の約二週間、テヘランに赴いて写本のデータを入手した。四つの図書館(議会図書館、マレク図書館、テヘラン大学図書館、国立図書館)を訪れ、写本のデジタル・データを購入した。 写本入手の段階から始める必要があるのは、シーラーズィーの『「医学典範」注釈』全体のうち、これまで校訂・出版されているのは最初の数段落のみであり、それ以降の箇所は直接に写本を見る以外に読む方法がないからである。シーラーズィーは中世期の中東医学史を解明するうえで重要な人物であるが、イスラーム医学史研究自体が決して研究の蓄積や研究者の層が厚いわけではないために重要作品でさえ校訂がないというものが多く、シーラーズィーもその一例である。この著作の重要箇所を校訂し、当該注釈書をイスラーム医学史のなかに位置づけることは、中東における医学思想の展開を解明するうえで重要な意義がある。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
クトゥブッディーン・シーラーズィー『「医学典範」注釈』の写本データについての具体的な作業としては、イブン・スィーナーの『医学典範』のテクストとの照らし合わせを行っている。中世中東における医学思想の展開を追跡するにあたり、本研究において特に注目しているのがルーフという概念であるが、注釈の対象となっている元のテクストでその概念が使われている個所がおよそ三十か所ある。ある程度まとまっている箇所もあるが、全体を通して散らばっており、注釈における対応箇所を探すのに、最初から順を追ってみていく必要がある。写本の葉数として千枚ほど、一葉の表裏にテクストがあるので、ページ数にして二千ページほどあり、対応箇所を特定していくのに時間がかかっている状況である。これまでに分かったところでは、とくに注釈が多い個所では、テクスト本文に対して五倍ほどの分量の注釈が与えられている箇所があり、ここを丹念に読むことで、新たに解明されることがなにかあるのではないかと期待できる。 いまのところは一つの写本を使ってこの作業を進めているが、その次の段階としては校訂の作業がある。つまり写本テクストの確定とその活字化である。とくにルーフ概念についての注釈が集中的に議論されている箇所を対象とする。テヘランで入手して現在手元にある写本としておよそ十種あり、それらを参照することによりテクストをより本来の形に近い状態で確定することができる。
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Strategy for Future Research Activity |
一年目の研究はおおむね当初の研究計画どおりに進められており、今後の研究方策に大きな変更はない。今後の具体的な作業としては、テクストの確定と校訂作業を続け、目的とする箇所についてその作業を完了させ、学術雑誌への論文発表まで進めたい。 この計画の進捗状況によるが、次の段階としては思想史的な意義を論じるような論文の執筆を進めたいと考えている。大きな研究計画としてはイブン・スィーナー没後の中東における医学思想の展開であるが、クトゥブッディーン・シーラーズィーのテクスト校訂から明らかになる彼の医学理論を中東の医学思想の流れの中に位置づけることを目指したい。当時を代表する思想家であるシーラーズィーによって書かれたこの浩瀚な『「医学典範」注釈』は、イブン・スィーナーの没後から二百年以上経過した十三世紀後半のギリシア系医学の受容の状況を判断するのに適切なものである。シーラーズィー作品の校訂とその思想史上の位置づけは、研究目的の達成に適切な研究課題であり、一年目の進行がおおむね順調であり、引き続き当初の方針通りに進めていくことが適切な方策であると考える。
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