2016 Fiscal Year Annual Research Report
<漂泊>と<定住>の交響史――四国遍路のポリフォニー――
Project/Area Number |
16J04445
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Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
後藤 一樹 慶應義塾大学, 社会学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2016-04-22 – 2018-03-31
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Keywords | 漂泊と定住 / 生活史/ライフストーリー / 映像社会学/ビジュアル・エスノグラフィ / 移動/モビリティ / 聖地巡礼 / 地域おこし/地域研究 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度にまず私は、四国遍路のポリフォニーがなぜ交響しているのか、その地平からどのような語りや物語が生まれているのかを、『三田社会学』(2016年7月、第21号)で発表した。そのなかで私は、交差する複数の語り・物語の生成のありようを、その現場において映像によっても記録することが、メディア論的・社会学的な課題であることを論じた。 この課題を遂行するために私は、2016年8月2日から9月25日まで、映像エスノグラフィの方法を用いて大規模な調査を実施、徳島・高知・愛媛・香川・和歌山の各県に毎日滞在しながら研究を遂行した。上記期間中、私は四国八十八ヶ所の寺院を歩きながら巡拝し、およそ1200kmの移動経験を包括的に撮影した。合計420時間の記録映像には、撮影許諾を得ておこなった80名ほどのインタビュー映像が含まれている。それらの映像の分析を通して、上記調査の結果を、日本社会学会大会(2016年10月8日)や国立民族学博物館(2016年11月30日)で発表した。 四国を歩き続ける移動撮影によって見えてきたのは、家庭における親近者や地域における労働の担い手の大量喪失が進む四国の地域社会が、積極的に外部の人材を求め、見知らぬ者たちと交渉している社会的な動きである。そして四国遍路の伝統は、ホーム社会から一時的に、あるいは長期にわたって、いわば縁切りしている遍路に、地縁・血縁で結ばれた共同体とは異質な、参入・離脱が自由である自発的集団への導きの縁起を与えていることが明らかになった。四国遍路では実際の苦労となる「同じ山坂」を辿ること、あるいはその苦労を我が身に引き寄せて想像することで、喪失を契機とした新たな縁が紡がれ、遍路と地域住民双方の生がエンパワーメントされている。 「〈漂泊〉と〈定住〉の交響史」を社会学的に解明することのできた本年度の研究の意義は、非常に大きかったものと考えている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究の目的は、〈漂泊〉の行為が〈定住〉を前提とする社会システムをいかに再編するかを解明することにあった。 四国遍路は、定年退職や転職・失業、死別や離婚、病気等の理由で、世俗社会といわば「縁切り」(網野 1996)した人々の「漂泊経験」の一種である。また、観光のための巡礼も、日常生活から一時的に「縁切り」して、聖なる時空間を消費しているものと考えられる。 この仮説を、次のような調査・研究を遂行することを通して、これまでに確かめることができた。第一に、自ら遍路として遍路道を歩きそこでの出会いを撮影すること、第二に、四国の地域で遍路にお接待をする住民の活動を撮影すること、そして、それらの映像モノグラフを作成し、遍路と地域住民の出会いと相互変容の現象を子細に考察することである。 上記のような三段階の研究が進捗した本年度は、四国遍路という〈漂泊〉の行為を媒介に、四国の〈定住〉社会がいかにそのあり方を変えているかに関して、その一端を明らかにすることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
これまで、移動する遍路の視点からとらえた四国巡礼の経験に関しては、質・量ともによく記録でき、深く考察することができた。他方で、四国の地域に暮らす住民の側から見た四国遍路とは、どのような社会現象であるのかに関しては、その記録や考察ともにまだ不十分なところがある。また、映像の長所である「いま・ここ」を子細にとらえることには成功した一方、四国遍路の「歴史性」の検証に関しては十分に果たされなかった。 以上をふまえると、本研究の今後の推進方策としては、第一に、2016年夏の遍路通し打ち調査でご縁を得たいくつかの地域に滞在し、そこでの住民の生活と四国遍路との関係を調べることがあげられる。第二に、四国遍路の歴史的な経験の重要な事例として、ハンセン病を患った方がどのような経緯でどのように遍路をなされたかを、文献調査や聞き取り調査によって調べ、かつての遍路のありようと現代遍路のあり方との関連性を検証することがあげられる。 最後に、主に四国遍路をフィールドにしてきた本研究を他の地域で応用することも計画に入れておきたい。その一つが、いま私が千葉県市原市牛久商店街で始めている「牛久きおくうた」プロジェクトである。江戸期より宿場町として栄えた牛久は、行商人たちが行き交い住み着くことで栄えた「〈漂泊〉と〈定住〉の町」であった。現在は、少子高齢化・人口流出に直面しているが、いちはらアート×ミックス芸術祭などをテコに、他地域からの人材を招き〈漂泊〉の力を取り込んでいる。私は、外部からの研究者・表現者として、街の人々のオーラル・ヒストリーを聞き取り、それを「きおくうた(詩)」制作や「映像社会学」の取り組みを通して、記録・表現する活動を立ち上げ始めている。 以上をまとめると、地域の社会関係のなかに分け入って、〈漂泊〉と〈定住〉が交響する、まさにその歴史性を掘り起こしていくことが、今後の研究の推進方策となる。
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