2017 Fiscal Year Research-status Report
シラク政権下の博物館構想ールーヴルからホロコースト記念館まで
Project/Area Number |
16K01204
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Research Institution | Kurashiki University of Science and the Arts |
Principal Investigator |
松岡 智子 倉敷芸術科学大学, 芸術学部, 教授 (90279026)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | ジャック・シラク / 博物館構想 / セルジュ・クラルスフェルト / エマニュエル・マクロン / ホロコースト |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究では、ドゴールからはじまりミッテラン大統領の時代に至るまでの博物館政策とは明確に一線を画している、ジャック・シラク政権下の「多文化共存」重視の博物館構想の一環としての、パリのホロコースト記念館についても言及したシラク氏の演説集の出版を行った。筆者は監修・監訳を担当し、野田四郎氏(京都ノートルダム女子大学名誉教授)は共訳者として、また、本書の序論は渡辺和行氏(奈良女子大学教授)、序文は、この演説集の編者である『フランス被追放ユダヤ人子息子女協会』会長のセルジュ・クラルスフェルト氏によるものである。翻訳草稿は昨年度末に完成し、校閲・校正を重ねて、平成29年8月に東京の明石書店から上梓された。 また、出版に至るまで様々なご教示をいただき、資料も提供していただいたクラルスフェルト氏に本をお届けするため同年10月に渡仏し、その際にも聞き取り調査を行い書店や博物館で資料を収集、その成果の一部を、本年度3月に論文「セルジュ・クラルスフェルト作『フランスのショア』をめぐって」(『倉敷芸術科学大学紀要』第23号)として発表した。そのなかで同氏の著作『フランスから強制移送されたユダヤ人の記念名簿』が、2014年にノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノの小説『1941年。パリの尋ね人』の発想源となったこと、そして、ミッテラン前大統領はシラク氏とは異なり、第二次世界大戦下、フランス政府が国内のユダヤ人の強制移送に協力した事実を認めようとしなかったために両者の間で抗争が続いたこと、しかし、昨年夏のエマニュエル・マクロン大統領の演説では、クラルスフェルト氏の記念名簿について同氏が幾度も言及し、その業績を称えたことについて紹介した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
翻訳書『ジャック・シラク フランスの正義、そして、ホロコーストの記憶のために』が刊行に至るまでには、演説、書簡、メッセージ13篇の解題執筆や著作権の確認など、取り組む課題をクリアするまでにかなり時間を要したが、出版社の明石書店をはじめとして、ご助言をいただいた渡辺和行氏、訳者の野田氏、勤務先の大学の教職員の方々のサポート、そしてなによりも科研費からの助成により、研究成果を具体化することができた。この翻訳書出版を契機として、編者のクラルスフェルト氏に関する論文も作成することができ、そうしたことが今後の研究へのはずみとなったように思われる。 その一方では、ルーヴル美術館、ケ・ブランリー美術館、国立移民史博物館、ユダヤ芸術歴史博物館、ホロコースト記念館を包括する総合的な視点として、「多文化共存」と共に新たなキーワードとなるもう1つの視点を現在、模索しているところであり、そのためにもシラク政権下の文化政策についてより深く探求するために現地での調査を続行する必要がある。しかし、国際情勢が不安定なために出張を取り止めたり、フランスの情報提供者の体調不良により緊急に予定を変更するなど予期しないことが起こったため、フランス出張の時期を変更せざるを得なかったり、勤務先の大学での業務の都合もあるため、現地での聞き取り調査の時間が限られてしまった(今年度のフランス出張は10月28日から11月2日までで、調査研究を行えたのは実質4日間のみだった)。
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Strategy for Future Research Activity |
今後はホロコースト記念館以外に、これまで研究を行ってきたルーヴル美術館、ケ・ブランリー美術館、国立移民史博物館、とりわけシラク政権下の文化政策を代表するケ・ブランリー美術館についての調査研究を深めて予定である。というのは、平成28年6月より、ケ・ブランリー美術館の名称が「ケ・ブランリーージャック・シラク美術館」に変更されたからであり、同時に行われた「ジャック・シラクー文明の対話」展の内容について、担当した学芸員からの聞き取り調査を行う予定である。しかしながら、その一方では特にアフリカ諸国からの美術品返還要求が起こっており、平成29年11月、マクロン大統領がブルキナファッソの首都ワガゥグで行った講演で、「アフリカの文化遺産を5年以内に祖国への一時的または完全返還を実現したい」と宣言し、後日、ステファン・マルタン館長も「美術品の一部はもとあった所に戻るべき運命にある」と表明している。20世紀末から顕著になった、こうした美術品返還運動と美術館の関係にも注目すべきであると思われる。 そして、当初予期していないことであったが、パリのホロコースト記念館設立に貢献し、シラク氏が大統領に就任した直後、第二次世界大戦下のフランスでユダヤ人が大量検挙されたヴェル・ディヴ事件について、国家の関与を初めて公の場で認めたことを高く評価したクラルスフェルト夫妻の『回想録』を翻訳出版することとなり、目下、著者の協力を得て翻訳作業を続行中である。以上の研究により、フランス現代史にも新たな光を投じることができると思われる。
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Causes of Carryover |
前年度の未使用額477,473円と平成29年度の交付金80万円の合計1,277473円から、『フランスの正義、そしてホロコーストの記憶のために』を出版するにあたり、学術図書制作一式として100万円、また、翻訳業務委託料として19,440円、そして、フランス出張にあたり野田氏に通訳・コーディネーターのための航空券をはじめとする旅費258,000円を支払ったため、残高が33円となった。 平成30年度にはクラルスフェルト夫妻の『回顧録』翻訳出版と、前年に引き続きケ・ブランリー美術館関係者への聞き取り調査を行うため(平成31年3月約10日間フランス出張予定)、同年度に交付予定の50万円と残金33円の合計500,033円を旅費として使用する予定であるが、国際情勢や勤務する大学の業務の都合等により、使用計画を変更せざるを得ない場合もある。
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