2016 Fiscal Year Research-status Report
日本列島無文字時代の国制と法――国制史・法制史学と考古学の対話――
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16K03271
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
水林 彪 早稲田大学, 法学学術院, 特任教授 (70009843)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 国制史 / ジェンダー / 考古学 / ヤマト政権 / 古墳 / 古事記 / 日本書紀 / 王権 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、(a)考古史料を、考古学者の教示を得つつ、国制史学の立場から読み解くこと、(b)その成果を基礎として、『古事記』・『日本書紀』などの文献史料の批判を試みること、の2つの目的を掲げているが、初年度(2016年度)は、(a)の課題の研究に集中し、(b)についても、ある程度の見通しを得るにいたった。 計画当初、初年度は、筑前(宗像)、上野・下野、出雲の3地方の古墳を中心とする史跡の見学を予定していたが、先達をお願いした考古学者のご教示をふまえ、一部予定を変更し、①河内・古市古墳群、②和泉・百舌鳥古墳群、③大和・南郷遺跡、④出雲、⑤上野・下野の古墳群、などの史跡を見学した。 以上の史跡見学を基礎に、考古史料を紹介する文献、および、考古学研究に学びつつ、ヤマト政権=前方後円墳時代の国制について、次のような理解を得るにいたった。すなわち、この時代の「歴史」を叙述した最も重要な文献史料である『古事記』(712年)および『日本書紀』(720年)は、その時代を、「男性の王による支配の歴史」として描いているが、考古史料によって復元されるヤマト政権=前方後円墳時代の前期および中期の国制は、「男性・女性の数が相半ばする古代在地領主(在地首長)たちが水平的に連合する権力体の幾段階もの重層的構造」であったことである。このような国制史像は、これまでの文献史学を根本的に批判することに帰結する。というのも、戦後の文献史学は、記紀に対する史料批判を行いつつも、「男性の王による支配の歴史」という記紀の歴史像は、基本的に受容してきたと言えるからである。 以上の研究成果は、2017年6月3日(土)に予定されている法制史学会におけるシンポジウム「ヤマト政権=前方後円墳時代の国制とジェンダー:考古学との協同による比較封建制論の試み」において発表する予定である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
当初の計画以上に進展したのは、主として、先達をお願いした何人もの考古学者の協力のおかげである。特に広瀨和雄氏は、史跡見学全体(古市古墳群、南郷遺跡、出雲、上野・下野などの見学)に同道して下さった。大久保徹也氏も、古市古墳郡、南郷遺跡、出雲の史跡見学に参加され、広瀨氏とは異なる観点からの教示を与えられた。また、出雲の史跡見学の際には、現地の考古史料に精通されている松本岩雄氏(八雲立つ風土記の丘所長)に案内していただけたこと、出雲に関する文献史の専門家である森田喜久男氏にも同道していただいて、文献史の側から教示を得られたことが、大いに参考となった。
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Strategy for Future Research Activity |
1.2016年度の研究を、まず、法制史学会におけるシンポジウム「ヤマト政権=前方後円墳時代の国制とジェンダー:考古学との協同による比較封建制論の試み」(2017年6月3日、於・京都産業大学)における報告「広瀨・清家両報告に学ぶ――ヤマト政権=前方後円墳時代の国制史像の革新」とまとめる。報告題名に見える広瀨和雄は、私の2016年度の史跡見学に際して、ほとんど常に、先達をつとめて下さった考古学者である。その広瀨氏の研究に学びつつ、考古史料の国制史学的読解を行うことが、この報告の第1の柱をなす。いま1つの柱は、ジェンダー的観点からの清家考古学の研究を、国制史学と結び付けることである。 2.2016年度の研究によっては、なお、究明しきれていないいくつかの課題についての研究を進める。具体的には、 (1)ヤマト政権=前方後円墳体制は、「何故に」、「いかにして」形成されたのか、という問題を、当時の国際状況に関する研究を参照しつつ、考察する。 (2)ヤマト政権=前方後円墳時代の後期の国制について、考察を進める。見通してとしては、この時期に、列島において初めて、〈王権〉ないし〈王政〉といいうるものが形成されると思われるが、その実相を、考古史料・文献史料の両面から考察する。 (3)ヤマト政権=前方後円墳時代における地方社会の構造を究明する。2016年度の研究において、弥生末期に、筑前、出雲、吉備、三丹などの諸地方において、それぞれ、古代在地領主の水平的連合権力体制が成立していたことが確認されたが、その秩序が、ヤマト政権の地方支配の過程でどのように変化したのか、あるいは、変化しなかったのか、という問題を究明する。出雲については、2016年度の研究によって、ある程度見通しが得られたが、残る3地方については手つかずのままである。特に、筑前と吉備が重要である。
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