Research Abstract |
本年度は,まずタッタメーダ税の導入に対する地方支配者による抵抗の様相を明らかにするため,2007年7月22日から同26日にかけて,ヤンゴンの仏教振興図書館やメイティーラーの僧院等に所蔵されている地方文書の調査を行った。その結果,タッタメーダ税制は,地方アフムダーン(主として騎馬隊,銃兵隊)への例外措置を拡大したことや地租の導入に必要な各種データの不備により,当初の目的を達成できなかったことが明らかとなった。 次いでイギリス政庁が導入した地方行政組織や租税徴収制度の実態を明らかにするため,2007年9月18日から同30日にかけてロンドンの大英図書館で,主としてシュエボー県の事例に絞って調査した。これにより,王朝時代末期の政策は植民地政策と同質のものであったことが確認された。 そして2007年11月17日,愛知大学豊橋校舎にて,報告書作成の打ち合わせを兼ねて,斉藤照子氏(東京外国語大学)および水野明日香氏(亜細亜大学)を招いて研究会を行なった。この中で,やはりアフムダーン制と税制の関係が,コンバウン朝後期の資源管理方式を理解するうえで,重要なポイントとなることが確認された。 そこで2008年2月13日から同26日にかけて,ヤンゴン,マンダレー,メイティーラー等で,主としてアフムダーン関係の史料調査に従事した。これによって,従来タッタメーダ税制以前,アフムダーンは非課税であったという見解は誤りであるという結論を導くにいたった。 こうしてミャンマーにおける一元的資源管理体制は,すでにコンバウン王朝中期(18世紀末)からその動きが認められ,ミンドン王によるタッタメーダ税制の導入により加速されるが,アフムダーン制を解体することができず,未完成に終わる。そして,この制度がイギリス植民地政庁によって廃止されたことにより,一元的資源管理体制は確立されたということが明らかとなった。
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