2007 Fiscal Year Annual Research Report
許状授与システムと組織形成から見た近世芸能的宗教者の世界
Project/Area Number |
17520060
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Research Institution | Aichi Gakuin University |
Principal Investigator |
林 淳 Aichi Gakuin University, 文学部, 教授 (90156456)
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Keywords | 修験 / 吉田家 / 神子 / 朝廷権威 |
Research Abstract |
(1)羽豆神社、愛行院、津島神社の資料調査を行うことができた。羽豆神社、愛行院の文書は撮影をし、一部翻刻をおこなった。津島神社の資料は、愛知県史編纂室所蔵のマイクロフィルムを複写した。羽豆神社文書からは、地域神職が吉田家との関係を求めて、神道裁許状を得て行く政治的な過程を知ることができた。神道裁許状を得ることで、祭礼を通じて地域社会における地位を獲得していくことも確認できた。当山派修験の愛行院文書によって、里修験が占い、祈祷、病気直しなどの地域社会の願望に応じていたこと、その活動を可能にしていたのは、醍醐三宝院の補任状であることを確認できた。尾張では修験は、当山派、本山派を問わず、寺社奉行-清寿院というラインで支配されていたことも明らかにできた。津島神社文書では、吉田家との関係をしめす資料を発見し、漢文年間に社家が吉田家の神道裁許状を得ながらも、吉田家から脱却しようとする動きがあることを解明した。そこには、地域の一般の神職が吉田家の神道裁許状を得ていく中で差異化を図ろうとした大社の社家の社会意識をうかがうことができる。 (2)埼玉県所沢市史編纂室所蔵の石山家文書を閲覧、複写することができた。石山家は、近世には神事舞太夫の家であり、関係の資料を多くある。ここでは文政年間に神子をめぐって当山派修験、本山派修験、吉田家と神事舞太夫とが争論を行なったことをしめす資料があり、それを解読、分析することができた。神事舞太夫は、檀家を回りながら檀家の娘を養女としてもらいうけて、訓練をほどこし、一人前の神子に育て上げる方法をとっていた。そのため、神子を他の宗教者と婚姻させることはさせず、神事舞太夫へ嫁入りさせ、夫婦ペアで営業することになる。神事舞太夫の頭である田村家は、関東の神子支配を行っていたという意味で、「神子の本所」であったと結論づけた。
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Research Products
(4 results)