2008 Fiscal Year Annual Research Report
中世武士団安芸小早川領域における石塔の基礎的研究-宝篋印塔・五輪塔を中心に-
Project/Area Number |
17520448
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Research Institution | Senshu University |
Principal Investigator |
舘鼻 誠 Senshu University, 文学部, 兼任講師 (00384678)
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Keywords | 中世史 / 石塔 / 宝篋印塔 / 五輪塔 / 墓 / 小早川 / 歴史景観 / 日本史 |
Research Abstract |
本研究は、小早川氏の領域(広島県三原市・竹原市と周辺地域)に多数残る石塔(宝篋印塔・五輪塔)の所在地・個数確認、実測作業を通して、歴史資料としての石塔の活用を図るとともに、歴史景観の復元や中世武士団の特質を読み解くための基礎データを収集することにある。この作業のため4、8、9、12月に三原市・竹原市・尾道市・東広島市・呉市・大崎上島町にて現地調査を実施した。このうち呉市安浦町では初めて本格的な石塔調査を実施し、宝篋印塔36基分、五輪塔50基分にあたる部材を確認し計測した。安浦は室町時代に小早川氏の家臣となる内海氏の領域になるが、その実態は文献資料の欠如もあってこれまで解明されてはこなかった。しかし今回多数の宝篋印塔や五輪塔を確認し、小早川氏に劣らぬ質の高い石塔を南北朝期から製作してきたことが明らかになったことで、瀬戸内海の流通を掌握しながら成長してきた内海氏の歴史や安浦の中世社会をより豊かに描くことが可能になった。また生口島の光明寺では宝篋印塔21基分の部材を確認し、その大きさなどから伝承通り光明寺が小早川一族の生口氏の菩提寺であったことが裏付けられた。これまで生口島の研究は瀬戸内海流通との関連で瀬戸田が注目されてきたが、今後は中野の光明寺を中心とした領主の空間にも注目する必要があるだろう。このほか竹原小早川氏の本拠となる木村城周辺の悉皆調査によって、14世紀から15世紀前半にかけての石塔が木村城周辺ではなく、1.8キロほど北側の茶臼山城周辺に広がることが明らかになった。城のある山腹には広い平壇も確認され、領主直営田に由来するショウジャクの地名も残る。竹原小早川氏の本拠は、ふつう考えられている木村城周辺ではなく、はじめはもう少し北寄りの地にあったのではないか、石塔の分布調査を契機に新たな謎解きもはじまっている。
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