2005 Fiscal Year Annual Research Report
経済成長とアジア関与をめぐる戦後日本外交のジレンマ
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17530120
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
波多野 澄雄 筑波大学, 大学院・人文社会科学研究科, 教授 (00208521)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
佐藤 晋 二松学舎大学, 国際政治経済学部, 助教授 (30385968)
池田 慎太郎 広島市立大学, 国際学部, 講師 (80364107)
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Keywords | アジア政策 / アジア・ナショナリズム / 戦後日本外交 / 地域主義 / 高度経済成長 / 東南アジア政策 / 賠償 / 文化交流 |
Research Abstract |
本共同研究は、高度経済成長とアジア政策の不振がアジアとの安定した関係の構築に失敗した原因である、という仮説のもとに、日本外交が直面した以下のジレンマを分析対象としている。 (1)経済的「国際主義」と「地域主義」のジレンマ 経済成長は自由貿易体制に自らを適応させるため、戦後日本が努力を傾注した成果であったが、他方、自由貿易体制が安定的成長をもたらす保障はなく、保護主義や地域主義の傾向が芽生えていた。日本政府も地域主義構想に惹かれて行く。これらを研究協力者である高橋和宏が「1960年代における『日印豪提携構想』とアジア太平洋の国際関係」(『外交史料館報』19号、2005年9月)において論じた。 (2)経済成長と援助のジレンマ 経済成長によって日本に期待されたのはAA諸国に対する経済援助の増大であったが、財政当局の国内経済的配慮によって抑制されていた。この点は上記高橋の業績のほか未了である。 (3)ナショナリズムへの応答のジレンマ アジア・ナショナリズムの「穏健化」が日本の外交目標となるが、それは「成長モデル」としての日本の経験をアジアに提示し、ナショナリズムのはけ口を「開発への動員」に向けさせようとするもので、賠償もこうした観点から実施され贖罪意識を希薄化させた。これらの一部を、波多野澄雄が「戦後アジア外交の基盤形成-「地域主義」と「東西のかけ橋」」(国際問題546号、2005年9月)において、佐藤晋が日本国際政治学会2005年度年次大会に「1960年代東南アジア政策における戦略性-準賠償・共産中国・開発支援」と題する論文を提出した。また、池田慎太郎は同学会で上記(1)と関連する報告(「池田政権期の内政と外交-日米欧関係を中心に」)を行った。 (4)「先進国意識」と「文化交流」のジレンマ 欧米に匹敵する経済発展を達成した日本は、日本(人)の先進性を訴える「文化交流」事業が重視されるが、70年代初頭の反日暴動で破綻する。この点に池田慎太郎が外務省公開資料を用いて、インドネシアを例に分析を進めた。
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Research Products
(2 results)