2006 Fiscal Year Annual Research Report
近代ドイツにおける「学び」の変容に関する教育思想史的研究〜主知主義から錬成へ
Project/Area Number |
17530547
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Research Institution | Tohoku University |
Principal Investigator |
清水 禎文 東北大学, 大学院教育学研究科, 助手 (20235675)
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Keywords | 近代ドイツ / ワイマール / 保守革命論 / 青年運動 / メラー・ファン・デン・ブルック / エルンスト・クリーク / ナチ |
Research Abstract |
本年度は3年計画の2年目にあたり、1920年代におけるドイツの保守革命論の教育思想の展開を中心に研究を進めた。研究成果は、教育哲学会第49回大会(於東京大学)において報告した。 世紀末から1930年代にいたる教育思想、教育学説の展開を考えるとき、1900年代から、とりわけ1910年代に盛んになる青年運動を等閑視できない。思想的に見た揚合、青年運動の展開は一様ではない。しかし、既存の文化を批判し、「ドイツ的なるもの」への回帰を目指す点においては共通している。そしてこの運動を導いたのが、メラー・ファン・デン・ブルック、ユリウス・ラングベーン、パウル・デ・ラガルドである。彼らの思想を母胎として相対的に自由主義的な新教育運動が展開するが、その一方で保守的な教育思想も展開する。今年度の研究においては、メラー・ファン・デン・ブルックからエルンスト・クリーク、ナチ党左派に至る教育思想の流れに注目して、1920年代の分析を進めた。 メラー・ファン・デン・ブルックは没落教養市民層に属し、「ドイツ的」な美を建築様式の中に見出した。その一方でドストエフスキー文学のドイツへの紹介者として文芸評論もてがけた。彼の教育構想は、美的経験を通してドイツ的な自己同一性を恢復することにあった。また彼は、1920年代には政治的評論も手がけ、西欧民主主義、個人主義、自由主義を退け、保守革命論を唱えるに至る。雑誌「リング」を編集していたメラーの周囲には、彼の思想に共鳴する青年が集まった。その中には、後にナチの教育政策の理論的支柱となったエルンスト・クリーク、またナチ党左派のグレゴール・シュトラッサーらが含まれていた。こうした思想的・人脈的流れを見ると、1930年以前の教育思想は、文化批判に端を発する右と左の相剋であったと言える。結果的には右が勝利をおさめ、ナチ支配が成立すると見ることができる。 残された課題は、右と左の相剋の中での教育的経験であり、またその質である。次年度は、雑誌Das Gewissenの分析を進め、イデオローグたちと読者層との間に展開した相互作用を明らかにし、そこから1920年代の教育的経験の諸相を解明すること。
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Research Products
(2 results)