2018 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
17J01081
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Research Institution | Tokyo Gakugei University |
Principal Investigator |
矢口 直英 東京学芸大学, 教育学部, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2017-04-26 – 2020-03-31
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Keywords | イスラーム / 医学史 / イスラーム医学 / イブン・スィーナー / ファフルッディーン・ラーズィー / クトゥブッディーン・シーラーズィー |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は昨年度末に引き続き、イブン・スィーナー(11世紀)の『医学典範』に対するクトゥブッディーン・シーラーズィー(14世紀)による注釈の分析を重点的に行った。 その中で、シーラーズィーの注釈の一部に同著者の医療倫理書『医学と医者が必要であることの証明』の冒頭と同じ記述が存在することが判明した。彼がギリシア的医学書に対する注釈書の中頃で医学を擁護しているという事情と、その議論がギリシア哲学的な学問論とイスラームの伝統の双方に基づいたものであることから、医学を取り巻く状況がこの時代には変わっていたと考えられる。信仰と科学の対立は複雑であり、改めてこの領域の研究への注目を集めるであろう。 シーラーズィーの注釈の冒頭部分からは、13~14世紀にも医学の哲学的定義が盛んに議論されていたことが判明した。そこでは彼以前の『医学典範』注釈者の議論が数多く引用されている。その中でも神学者ファフルッディーン・ラーズィー(13世紀)が提起した問題点が中心的に扱われており、ラーズィーの議論は『医学典範』の注釈伝統において大きな位置を占めている。このことは、従来の見解とは異なり、注釈においても医学研究が盛んに行われていたことを示している。注釈者間の影響関係の指摘は、今後の『医学典範』受容史研究に大きく貢献するであろう。 またこれらと平行して、イスラーム社会における医者の扱いを調査した。ルハーウィー(9世紀)による医療倫理書『医者の作法』やイブン・アビー・ウサイビア(13世紀)による医者の人名録には医者の収入に関する具体的な逸話が多数記録されているが、10世紀以降の医療倫理書にはこのような話が語られることはない。9世紀の医者にとって収入が特に重要であり、このことには医者という職業の特殊な事情が関わっていると考えられる。この指摘は、イスラームでの医学の発展を解明する上で大きな意義があるだろう。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は当初の計画通り、イブン・スィーナーの『医学典範』に対するクトゥブッディーン・シーラーズィーの注釈の分析を行うことができた。前年度までに十分な量の写本資料は入手しており、この注釈に関係する著作の写本も図書館を通じて入手することができたためである。 シーラーズィーの医療倫理書が『医学典範』注釈からの再編集であること、ギリシア的医学書の中でイスラームの伝統的議論が展開されていることが明らかとなったことから、13~14世紀における医学の状況について改めて検討すべきであると言えよう。この成果は論文化して『科学史研究』誌上で発表した。 『医学典範』注釈の分析については、冒頭部分を精査することで、イブン・スィーナー以降の医学者たちによる医学の研究状況が分かってきた。13~14世紀にも、従来言われていたように注釈の執筆が為されるだけで医学が停滞していたのではなく、批判的な医学研究が盛んに行われていたことが明らかとなった。その中でも神学や哲学の伝統で重要なファフルッディーン・ラーズィーが医学分野でも重要な人物であることは、イブン・スィーナー以降の医学史研究にとって注目すべき事実であり、この指摘には思想史上の大きな意義がある。これらは2018年10月の日本オリエント学会において発表し、論文として2019年3月に『オリエント』誌に投稿し、審査待ちである。 ルハーウィーやイブン・アビー・ウサイビアによる医者の収入に関する多くの逸話について2018年11月に開催されたイスラーム初期史研究会にて発表した際に、具体的な金額を含む収入の情報は医者以外の職業では極めて稀であると指摘を受けた。これらの逸話からは医者の特殊な状況を明らかにすることができるだろう。この問題は、さらに分析を進める予定である。 本年度の研究は研究計画の通りに進んでおり、イスラーム思想史および医学史に重要な情報を提供できている。
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Strategy for Future Research Activity |
本年度までに本研究に必要な写本資料については収集できたため、資料の分析を集中して行っていく。ただし、分析の過程で不足している写本資料があれば、可能な範囲で図書館を通じて必要な文献を入手する。なお、当初の研究計画では海外の学会において発表をする予定であったが、健康上の理由により渡航は断念し、その代わりに欧文で研究成果を発表する予定である。 次年度は受入教員の小林春夫氏の協力を仰ぎ、哲学者・神学者による医学理解という観点からの哲学・神学文献の分析に重点を移す。ガザーリー以降、科学の分野で活躍した人物は神学者としても著名であるため、神学文献も視野に入れる必要がある。それらの文献のうち学問分類や医学の価値を扱う部分に焦点を絞り、哲学者や神学者による医学の位置づけを明らかにする。ただし、研究対象の時代は哲学と医学が密接に関係しており、医学文献の中にも哲学の要素が語られているため、医学文献も同様に検討していかねばならない。したがって、前年度から分析してきた複数の『医学典範』注釈を含め、医学書の分析も継続する。これらの作業を通じて、医学者や哲学者・神学者による医学の定義や医学の評価を明らかにし、医学観がどのような変遷を辿ったかを描く。 一方、昨年度までの分析で明らかになった、医者の伝記における収入という問題についても調査を進めていく。この問題を解明することで、本研究が対象とする時代における医者の社会的状況を探る手がかりを得られるであろう。これについては、論文化して『科学史研究』欧文誌へ投稿する。 これまでの調査結果から9~14世紀における医学観の変遷の全体像を描き出し、ガザーリーによる哲学批判のイスラーム医学への影響力について評価する。最終年度の成果は日本オリエント学会年次大会で発表すると共に、年度末に同『オリエント』欧文誌へ投稿する。
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Research Products
(2 results)