2017 Fiscal Year Annual Research Report
日常的な保育実践における保育者の専門性:子ども理解の特性と実践との関係に着目して
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17J02229
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Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
池田 竜介 九州大学, 人間環境学府, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2017-04-26 – 2019-03-31
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Keywords | 専門性 / 子ども理解 / 日常性 / 保育文化 / エスノメソドロジー / 会話分析 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的を端的に述べると、保育者の子ども理解に着目して保育者の専門性を描き出すことにある。特に本研究の特色としては、日常を主題化していることであり、以下で今年度の具体的な成果を述べる。 まず、保育においては「遊び」がその教育活動の基本になることから、保育者による子どもの「遊び」の見とりは重要な実践である。保育現場では「遊び込み」という表現が多用されていることから、「遊び込み」という言葉の用い方に着目し、そこに潜む規範の記述を試みた。その結果、保育者が子どもの「遊び込み」について自発的に語る場合、「遊び込めない子ども」について言及する形をとり、そして「自分で」という基準が子どもの「遊び込み」を判断する際に重要であることが明らかになった。一方で、「遊び込める子ども」についてはそれ自体として語られることはなく、「遊び込めない子ども」と対比される形でしか保育者には意識化されないことがわかった。 次に、片付けの時間における保育者の振る舞い方に着目し、実際の子どもとの関わりにおける保育者の規範の記述を試みた。その結果、保育者は子どもと関わる際に自らが権威的になることについて極めて敏感になるということがわかった。保育者の権威的な振る舞いは、筆者が気にならないほど微細なものであり、子どもへの片付けの促しも緩やかなものに見えた。しかしながらその実践は、保育者自身によってそのうしろめたさを自省する形で表され、同時に自らの振る舞いの正当性を主張しようとする形で現れた。 これまでの先行研究では、保育者の自覚的な語りが対象とされてきたのに対し、本研究は保育者の無自覚的な振る舞いを対象としている。日常的な実践においては、実践者の行為のほとんどは無自覚的であることを鑑みれば、本研究はこれまでの先行研究が見過ごしてきた実践のダイナミズムに迫ろうとしているという点で意義があると考えられる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
当初予定していた実証研究については形にすることができなかった。その理由については、下記の通りである。 当初予定していた実証研究は、複数の自治体の幼稚園・保育所を抽出して質問紙調査を行い、その結果を定性的コーディングによって比較分析することで保育者の子ども理解をモデル化することであった。しかしながら、その手法は次の点で大きな問題を有している。第一に、実践の中で行われる理解は、必ずその実践の文脈に埋め込まれており、質問紙調査ではその文脈性が捨象されてしまう。第二に、実証研究においてはデータを数値化して確率論的な因果論の検証が目指されるが、何かを理解するという営みはそのような単線的な因果モデルで行われるというものではなく、実際は例外や矛盾をはらみながらうごめく動的なものである。しかしながら、実証研究は方法論上そのような例外や矛盾は外れ値として分析の俎上から外さざるを得ない。第三に、我々が語ることができることは極めて限られた理解の側面であり、実際は語らなくても、語ることができなくても理解していることは多くあるが、その事実を実証研究は扱うことができない。 以上を端的にまとめるならば、本研究の課題と実証研究は整合しないのではないか、という思いが強くなり、ゆえに実証研究を形にすることができなかった。しかしながら、日常的な実践において保育者に作用している無自覚的な影響力、便宜上言い換えると「保育文化」の記述と考察については、当初予定していたよりも進捗している。したがって、「やや遅れる」という自己評価をしているが、正確には「年度の途中で研究の方向転換を行った」という自己評価の方が適切であると思われる。
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Strategy for Future Research Activity |
先述した方向転換に伴い、第一に「保育文化」の記述と考察を引き続き行う。 関連して、その理論的な基盤を固めるために「専門性」についての理論的研究を行う。現在、保育者だけに限らず教職の専門性を主題化した研究のほとんどは、「専門家」を「優れた人間」と捉えている。しかしながら、「専門家」は「優れた人間」というよりも素人と比して「ある特有の傾向を示す人間」と没価値的に捉えることの方が適切であるように思われる。というのも、簡単な経験的な例を挙げると、子どもの学力を上げることができない教師は能力のない教師として語られることはあるかもしれないが、依然として教師として語られており、その経験的な事実が普遍化できるならば我々は日常的に「専門家」を能力の有無で判断していないことになるからである。筆者が「文化」という表現を用いるのもこのことに関連しており、つまりは「専門家」は特有の「文化」の価値観や態度を身につけた人間であるという見方をしている。価値を入れて「専門家」を語ると、べき論(≒印象論)になってしまう危険性があり、そのような事態に陥らないためにも、「専門性」の概念について改めて検討する必要があるように思われる。 一方で、我々はたしかに「文化」によって振る舞いを制限されるが、だからといって全てを「文化」に支配されているわけでもない。例えば、保育者が子どもを理解する際、保育者としてその子を理解しているだけでなく、「私」としてもその子を理解しており、恐らくはそれぞれは混然としたままで理解は行われている。つまり、「保育文化」と「個性」の関係性について考察することが、保育者の子ども理解について、そして保育者の専門性について探究する上で重要な作業になると考えられる。
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Research Products
(2 results)