2017 Fiscal Year Annual Research Report
古代日本における自国・異国イメージの形成過程に関する研究
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17J05068
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
小塩 慶 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2017-04-26 – 2020-03-31
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Keywords | 国風文化 / 中国文化受容 / 平安時代 / 日本古代史 / 漢籍 / 物語 |
Outline of Annual Research Achievements |
一年目となる本年度は、『浜松中納言物語』『松浦宮物語』という二つの文学作品をもとに、「国風文化」期における中国知識の実態を考察した。具体的に得られた研究成果は以下の通りである。 ①『浜松中納言物語』に見られる中国知識受容は、主に物語や絵画、『和漢朗詠集』などを介していると考えられ、いわば中国文化の二次的な摂取と位置付けられる。国風文化期においては、少なくとも貴族層では、必ずしも直接漢籍を読まずとも一定程度の中国知識を国内の文化的産物から得ることのできる環境が整っていたと指摘できる。これは、宮仕えを軸に縦横の身分に渉って展開した、当時の文化総体の形成の問題と深く結びつく現象である。 ②『松浦宮物語』ではさまざまな漢籍を踏まえた表現が見えるが、承和年間以前にもたらされた漢籍(三史・経書・『文選』・『白氏文集』など)と唐代以降の史書とでは、漢籍の用いられ方に明らかな差異が見出だされる。すなわち、三史や経書は物語の根幹に大きな影響を与え得るが、唐代の史書は登場人物名や官職名などの文飾に利用されているに過ぎない。ここに両者の漢籍についての当時の日本人の習熟の度合いの差が如実に表れている。また、このような差異は、当時の男性官人の学習方法に起因するものである。なお、『松浦宮物語』は12世紀初頭の成立であり、漢籍をめぐる状況は、承和年間以降、「国風文化」期を通じて大きな変化がなかったと指摘できる。 ③従来重視されてきた唐物輸入の実態を再検討すると、少なくとも漢籍に関しては、多くのものが輸入された形跡を史料から実証し難い。①②の結果も踏まえると、文学的側面における「国風文化」とは、モノとしての同時代の中国文化は積極的に受け入れつつも、思想面においては、承和年間頃までに流入した中国文化に強く依存していたと考えられる。 以上の研究の成果は、論文として発表した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は、当初の計画の通り、国風文化期における異国イメージを焦点にして研究を進めてきた。 本研究は、従来の日本史学とは異なる切り口で「国風文化」の構造を分析することを目的としている。日本史学では対外交流の実態の解明で目覚しい成果を上げてきた一方で、文学や美術品などの検討は他分野の研究成果を参照するにとどまりがちであった。他分野の研究対象を日本史学の研究対象として扱うためには、他分野の研究成果をいかに日本史学の論証方法に取り入れるかが課題であった。本研究では、国文学で進められてきた物語の出典考証の成果と、古記録や歴史物語から漢籍や絵物語の受容の実態を明らかにするという日本史学の手法を組み合わせることで、物語分析から国風文化を歴史学的に考証することを試みた。その結果得られた主な成果は上述のとおりである。 近年「国風文化」に改めて注目が集まっているが、本研究で示した分析手法は、従来の日本史学の「国風文化」研究とは大きく異なる。物語という「文化の産物」の内部構造の分析から当時の漢籍受容の実態を解明し、それを論文という形で公表できたことは、本年度の大きな成果である。また『松浦宮物語』における漢籍の問題については、国文学の研究で見過ごされてきた事実、すなわち唐代以降の漢籍とそれ以外の漢籍の使用の違いについて指摘することができた。以上の分析手法が認められ得るものであれば、他の文化においても応用可能であり、今後の研究の指針のひとつを得ることができた。 また、本年度は11月から12月にかけて渡米し、ニューヨーク・プリンストン・ボストンの主要大学や美術館・博物館を訪問した。東アジア圏以外の文化圏から見た日本文化の位置付けを学ぶとともに、現地の研究者と交流し、国際的な「日本研究」の現在について見識を深めることができた。 以上から、本年度の研究ははおおむね順調に進展しているとする。
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Strategy for Future Research Activity |
当初の計画では、異国イメージの検討に引き続き、自国イメージの検討を行う予定であった。しかし本年度の研究成果を踏まえると、自国・異国イメージのいずれを考えるにおいても、いわゆる「唐風化」の時代とされる9世紀の社会・文化の検討が不可欠であると考えるに至った。したがって、次年度では、まず9世紀(特に弘仁~承和)の検討を行い、続いて自国イメージ形成の画期といえる10世紀の検討に移ることとする。 9世紀前葉の承和年間は、延喜・天暦と並んで聖代として後の時代の模範とされ、9世紀初頭の「唐風文化」から「国風文化」へと転換する時期としても近年注目されている。特に『続日本後紀』嘉祥三年三月癸卯条は、承和の時代を象徴する仁明天皇の事績とともに、当時の医学について極めて興味深い事実を伝える史料である。従来幅広い分野の研究で言及されている当該条であるが、特に医療関係の記述に関しては、未だ検討の余地があると考えられる。本研究の課題に即していえば、異国イメージの形成に関与した人物として、大陸文化の担い手の問題は重要な問題である。古代日本における医学はほぼ大陸の学問の輸入であり、こうした文化、あるいは文化の担い手が、9世紀にいかなる変化を遂げたかは興味深い問題である。当該条および関連史料を読み込むことで、史料の残存状況も影響して十分に検討されてこなかった9世紀における医学の様相を解明する。 続けて10世紀の検討を行う。特に延喜・天暦の時代は聖代として名高く、その実態に迫る研究も多いが、聖代観の創出に関しては、文人官僚の意識からの検討以外は意外にも進んでいない。次年度は、当該期の史料の読み込みを進めることはもちろんのこと、説話集などで当該期がいかに位置づけられているかの史料収集を進める。10世紀の検討は、3年目以降も継続する予定である。
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