2018 Fiscal Year Annual Research Report
The Concept of Time in Deleuze : From the Viewpoint of Speculative Realism
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17J06295
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
黒木 萬代 大阪大学, 人間科学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2017-04-26 – 2021-03-31
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Keywords | ドゥルーズ / メイヤスー / 思弁的唯物論 / 女性への生成変化 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、思弁的実在論の中心的論者であるカンタン・メイヤスー(思弁的唯物論)の議論および彼のジル・ドゥルーズに対する批判を分析しながら、ドゥルーズ哲学を再考することである。しかし、それは無条件にメイヤスーの議論や批判を受け入れることではなく、その妥当性をドゥルーズ哲学の側から吟味しながら、新しいドゥルーズ哲学の可能性を模索することである。 この研究目的を達成するために、まず前年度に引き続き、メイヤスー、そして彼の師であるアラン・バディウ、ドゥルーズの三者の数学的立場およびそこから導かれる彼らの哲学の差異を明らかにし、整理した。また、メイヤスーは、わたしたち人間から独立に存在する絶対的なものに唯一アクセス可能なものとして数学を特権化するが、そこで想定されている数学は「集合論」(少なくとも『有限性の後で』、「潜勢力と潜在性」における議論において。ただし、メイヤスーは未来において連続体の袋小路を乗り越える新たな数学が出現する可能性を重要視している)であり、この彼が依拠する数学的な立場は、バディウから引き継がれている(ただし、メイヤスーはバディウ哲学の乗り越えを試みているため、師弟間で立場の違いがある)。そのうえでメイヤスーのドゥルーズ批判は基本的にバディウが「一者」の哲学と断罪したものと同じものであり、そのような批判に対して返答するために、「存在の一義性」が決して「一者」ではないことを確認した。また、両者の時間論についても研究を進めた。 さらに、ドゥルーズ哲学における生成概念において重要な位置を占める「女性への生成変化」および「少女」概念にかんする研究も進めた。ドゥルーズにおける女性概念、特に「少女」概念に関しては国内外ともにそれほど研究が進んでおらず、ドゥルーズにおける生成変化論をこの観点から考察する価値があるように思われる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究実績の概要において述べたように、メイヤスー、バディウ、ドゥルーズ、三者の数学的立場およびそこから導かれる彼らの哲学の差異を明らかにし、整理することができたこと、その上でメイヤスーによるドゥルーズ批判がバディウによるドゥルーズへの批判(「一者」批判)と多くの部分で重なることを確認し、そのような批判にたいするさまざまな反論を参考にしながら、本研究における目的であるドゥルーズ哲学の再考につながるような観点(反論を含め)を模索したこと、また両者の時間論についても着手した点など、概ね2018年度交付申請書における研究実施計画に沿って研究を進めることができた。また、カンタン・メイヤスー『亡霊のジレンマ』(青土社、2018年)所収の「潜勢力と潜在性」及び「思弁的唯物論のラフスケッチ」の翻訳を担当した。 さらに、研究実施計画においてドゥルーズにおける女性概念をフェミニズムの議論も調査しながら研究していく旨を掲げていたが、その点に関しても、すでに研究実績の概要で述べたように、進めることができた。その一つの成果として、フェミニズムの議論も踏まえながらドゥルーズ哲学における「女性」概念を批判的に検討し、「少女になること―新しい人間の誕生と救済の非対称性―」(『現代思想』2月号、青土社、2019年)にまとめた。 したがって、研究の進捗状況はおおむね順調に進展していると考える。
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Strategy for Future Research Activity |
引き続き、メイヤスーのドゥルーズ批判を吟味しながら両者の議論の比較検討作業を進めていく。まず、前年から取り組んでいる両者が思想をつくる際に用いている「数学」の差異を明確化する。すでに述べたように、メイヤスーは絶対や永遠真理にアクセス可能なものとして数学を特権化するが、そこで言われる数学とは基本的に「集合論」(少なくとも『有限性の後で』、「潜勢力と潜在性」において)である。これはバディウから引き継がれている点であるが、周知のようにバディウはドゥルーズを「一者」の哲学者とみなし批判した。しかし、Daniel W. Smithが指摘するように、「存在の一義性」は「一者」ではなく、実際の争点は両者が依拠する数学的立場の違い、すなわち「公理」的な極に力点を置くか(バディウ)「問題」的な極に力点を置くか(ドゥルーズ)にある。メイヤスーはバディウの「数学=存在論」という定式からは明確に距離をとって自らのプロジェクトを発展させているが、ドゥルーズに対する批判の面では多くの部分が重なっている。この観点からドゥルーズ批判を検討するとともに、両者の時間論(ハイパーカオスとアイオーン)について検討し論文にまとめる。 また、ドゥルーズ哲学における生成概念において重要な位置を占める「女性への生成変化」および「少女」概念、またドゥルーズ哲学に度々現れる女性に関する議論を引き続き検討する。さらに、すべての生成変化の入り口として語られる「女性への生成変化」は、ある意味で、現動性と潜在性との接続点に位置するが、そこで言われる「女性」が男性の理想像のままに固定されている点を検討する。それによって、『マゾッホ紹介』などでより明確に見出すことができる「新しい人間の誕生」というドゥルーズの企図が有する非常に閉塞的な構図に亀裂を入れる可能性を「女性」概念に見出す。 以上のような研究の成果を適宜学会等で発表する。
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Research Products
(2 results)