2017 Fiscal Year Annual Research Report
19世紀フランスにおいて客観性概念はいかに出現し、実証主義の中に流れ込んだのか?
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17J06649
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
平井 正人 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2017-04-26 – 2020-03-31
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Keywords | オーギュスト・コント / 実証主義 / 実証哲学講義 / フランス革命 / 理工科学校 / 数学史 / 物理学史 / 化学史 |
Outline of Annual Research Achievements |
【資料調査】 パリに所在のメゾン・ドーギュスト・コントに所蔵されている未刊行史料の一部に関する調査を行った。以後、その内容の解読を継続的に行い、2018年1月に完了した。具体的には, 理工科学校の生徒であったオーギュスト・コントが, 1814年11月から1816年3月までの間に書き残した講義ノート(M.COM.31-37)と, パリ天文台で1817年5月から同年7月まで行われた天文学の講義ノート(M.COM.4)の解読を行なった。また、コントが生前に所有していた個人蔵書の検討を行った. 特に、これまで検討してきた理工科学校の講義ノートの内容と比較しつつ、彼の主著の一つに数えられる『実証哲学講義』に影響を与えたと考えられる蔵書に焦点を当てた。この作業によって、コントの科学思想の歴史性を明らかにすることができると思われる。 【学会発表】 2017年12月14日に開催されたフランス19世紀思想研究会ワークショップにてオーギュスト・コントに関する研究発表をフランス語で行った。本ワークショップには, 世界的なコント研究者であるメアリー・ピッカリング教授が招聘され, その主著を踏まえつつ, そこで展開されている主張(コントの法則概念はデイヴィッド・ヒュームに由来する)の批判的検討を試みた. すなわち, 確かにコントは1764年にフランス語で刊行された『ヒューム哲学著作集』を所蔵しているが, そこにコントによる法則の定義 (現象間の類似と継起の恒常的関係) は見出されないこと, むしろコントが強い影響を受けていた, 生物学者のブランヴィルの著作からその着想を得ていた可能性が高いことを示した.
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
上述の通り、オーギュスト・コントが1814年11月から1816年3月までの間にパリの理工科学校で受講した講義の手書きノートを解読することができた。従来までこれらのノートは全く研究されてこなかったが、コントの科学思想の形成を理解する上で極めて重要な史料であり、その解読を世界で初めて行うことができたという点で、本研究は順調に進展しているように思われる。その内容は以下の通りである:M.COM.31 解析学講義 (1) ポワンソとプティの講義4枚半;M.COM.32 解析学講義 (2) レノー;M.COM.33 無限小解析講義, 二年次, コーシー ;M.COM.34 幾何学への解析学の応用講義. アラゴ (1816年);M.COM.35 力学講義 (5) ポワソン;M.COM.36 プティ氏の物理学講義;M.COM.37 テナール氏の化学講義;M.COM.4 天文台での講義 (アラゴ) 。コントがどのような内容の科学教育を理工科学校で受けたのかを解明することができ、ひいては、コントの科学思想がどのような科学に基づいて構築されているかを明らかにすることができると思われる。史料の解読に集中したため、本年度は研究成果を論文の形では公表することはできなかったが、解読した史料の分析が終わり次第、論文を公表したい。
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Strategy for Future Research Activity |
コントの講義ノートの内容を解読するだけでは、その歴史的意義を十分に理解することはできないため、1814年から1816年までの理工科学校の歴史的背景を踏まえた上で、コントの講義ノートがどのような意味を持っているかを明らかにする必要がある。実際、コントが理工科学校の生徒だった時代に起こったナポレオンの百日天下と王政復古は、友人ヴァラに宛てた当時の書簡にもはっきりと表明されているように、共和主義を支持していたコントに対して極めて重要な意味を持っていた。王政復古に伴って、それまで理工科学校で教鞭をとっていた共和主義的な傾向を持った教授たちは一斉に追放され、解析学の基礎を築いたことで有名なコーシーといった王党派を支持する教授たちによって取って代わられた。教師との諍いをきっかけに、オーギュスト・コントを筆頭とする何人かの生徒たちは学校当局に対して抗議文書を提出したが、当局は共和主義者を学校から一掃する好機ととらえ、抗議文書に署名した生徒たちを1816年4月に一斉に解雇した。その後、コントはサン=シモンの秘書として政治活動に身を投じることになるが、コントにとって、理工科学校時代の経験が重要な意味を持っていたことは間違いないと思われる。このように、理工科学校の歴史の中にコントを位置付け、その後のコント思想の形成にどのように影響したかを明らかにしたい。
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Research Products
(1 results)