2017 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
17J09846
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
堂本 直貴 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2017-04-26 – 2019-03-31
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Keywords | 公園 / 都市計画 / 近代 / 奈良 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、西洋特有の都市計画のひとつである公園が、日本に導入・設置された歴史的過程・事例の分析を通じて、日本の近代化の意味を考察するというものである。とりわけ本研究は、公園設置という概念が、東京から地方へ拡散したという前提のもとで、その近代化の伝播の特徴を明らかにすることにあった。そこで、この研究を推進するにあたり、先行研究では曖昧だった「公園」の位置づけを再定義した。その結果、都市計画法において設置が義務づけられ、普及した狭小の「街区公園」(または「小公園」)と旧来からの歓楽街・名勝地を指定した、あるいは都市の文化地区形成を目的とし開発された「都市公園」(または「大公園」)の明確な区別を確認しつつ、後者を研究対象にして、奈良県奈良市に設置された奈良公園を調査・考察の主体とした。 この奈良公園は、古代からの神社仏閣が集積する空間であり、それらを訪問する巡礼・参拝行動がみられる場所でもあった。近代における公園地指定は、そうした文化的遺産の保護という側面もあり、同時に今日みられる都市公園を特徴つける施設である図書館や公会堂、博物館の建設がおこなわれた。後者は、公園を通じて、近代社会に特有な知の普及/大衆化を目的としたものである。 本研究の当初の仮説は、公園設置という概念が、西洋から移入し、東京を起点しつつ地方へ拡散したというものであった。しかし、研究の進展によって、当初想定された特定の知が単線的で一方向的に流入するという構造ではなく、むしろ東京の内務省を主体とする開発行政と、文部省を主体とする文化財保護行政の対立を背景としつつ、地方特有の影響を受けて、独自の発展を遂げたものであることが明らかになってきた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当該年度前半は、近代以降の奈良公園、あるいは大きく奈良という空間へのまなざしを分析する基礎作業として、近世において庶民を中心に流行した奈良(南都)ツーリズムの実態を視覚史料(絵図)からさぐるという方法をとった。絵図といった表象史料を分析の対象とする研究は、美術史や地理学に多くある。これらの知見も参照しつつ、社会学における地図研究やツーリズム論の先行研究の整理から主要な理論や分析枠組みを抽出したうえで、奈良大学が編纂した『奈良大仏前絵図屋筒井家刻成絵図集成』を史料として、その変化を時系列的読みとっていくという方法をとった。その成果の一部については、2017年11月に日本社会学会において報告をおこなった。報告内容の修正をおこない、2018年上半期の学会誌投稿の準備をしている。 2017年8月には、東京国立博物館資料館において、奈良公園内にある奈良国立博物館の管理実態に関する史料調査を実施した。そのさい、国立博物館の敷地であっても、所有は、国もしくは奈良県となっており、現状の変更が容易でないことが明らかになった。それは、1873年の地租改正によって公園地と指定されたことに由来し、複雑な状況を呈することが見えてきた。そのことは、奈良公園を構成する文化施設の一つ一つの成立・維持過程を見ていくという作業と同時に、奈良公園が、公園地という国家政策の一環として指定され、維持されてきたという視点も重要であることを浮かびあがらせる。とりわけその関係が、奈良という場所で地元との対立という形で現れたのは、1945年前後の国家と宗教の関係性における問題であった。そこで、当該年度初頭から継続してきた、地方新聞や大手新聞紙の地方版における奈良公園関連情報データの一部を反映させるかたちで、この時期の状況を実証史学の手法でまとめ、2018年3月の研究会において報告をおこなった。
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Strategy for Future Research Activity |
研究開始当初は、第一に、西洋から移入された特定の知が東京という大都市の建設で試験的に運用され、その後に地方に拡散していくという、いいかえれば単線的で一方向的に流入するという構造を想定していた。第二に、その想定を奈良および奈良公園という空間で検証した場合、古代からの文化と近代化によってもたらされた文化が融合し、「新しい伝統」として、逆に都市へ流入するというダイナミズムが発生すると考えた。それらの検証が、申請者の研究のオリジナリティである。しかし、奈良公園という地方都市公園を取りあげても、よりミクロに地元の維持・管理状況を視野に収めたうえで、マクロに保存や開発という点において、中央官公庁の政策、あるいは東京の都市計画状況との関係を視野に入れるべきである。以上が今後の研究の基本方針となる。 そのうえで、前年度までの研究は、江戸時代後期から明治時代にかけてのイメージの分析を除けば、昭和初期から太平洋戦争終戦前後の奈良公園の運営・管理をめぐる状況に重点をおいたものであった。今後の研究としては次の2点があげられる。ひとつは、昨年度の手法を流用し、政治史の動向も視野に収めたうえで、公園設置以降の明治から大正時代にかけての奈良公園整備に関する中央(東京)と奈良の関係を描き出すことである。もうひとつは官(国および奈良県)、民(社寺・地元)、その他(旅行者)の立場に着目しながら、公園設置(指定)に伴う、「保存」の意識が官から民へ移動していく要因とその過程を描き出すことにある。それは、公園という空間の扱いを通じて、人々の意識が近代化されていく流れを把握することであり、奈良公園という空間が場所へ変化していく歴史から理論を導出する手続きでもある。
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