2017 Fiscal Year Research-status Report
現代独仏圏の哲学的人間学とJ・マクダウェルのアリストテレス的自然主義
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17K02156
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Research Institution | Iwate University |
Principal Investigator |
音喜多 信博 岩手大学, 人文社会科学部, 准教授 (60329638)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 哲学的人間学 / シェーラー / メルロ=ポンティ / アリストテレス |
Outline of Annual Research Achievements |
平成29年度においては、本研究課題全体への導入として、哲学的人間学に見られる階層理論のアリストテレス主義的な特徴を総体的に整理する研究をおこなった。本年度は、とくにシェーラーとメルロ=ポンティについて考察をおこなった。 アリストテレスの『魂について』においては、魂の三つの能力が論理的な階層性を成すものとして区分されているが、それに比することができるようなかたちで、シェーラーとメルロ=ポンティにおいては生物の心的機能についての一種の階層理論が見られる。シェーラーは『宇宙における人間の地位』(1928)において、「感受衝迫」から「実践的知能」まで、生物の心的機能を四段階の階層性において捉えていた。そのうえで、人間の「精神」は、このような他の生物と共有する心的機能を前提としながらも、環世界の拘束を越える「世界開放的」な自由を獲得すると述べている。メルロ=ポンティは『行動の構造』(1942)において、シェーラーの「世界開放性」概念に大きな影響を受けながらも、その宇宙論的な含意は切り捨て、生物の行動形態を「癒合的形態、可換的形態、シンボル的形態」という三つの階層に区分して、それらを現象学的に分析している。 本研究の結果、以下のようなことが明らかとなった。上記の思想家たちの階層理論においては、階層の上位のものは下位のものの存在を不可欠の前提としているとともに、下位のものは上位のものにその部分として取り込まれ、その自律性を失っているというように、諸々の層は「統合」的関係にあるものと構想されている。そして、その統合の向かう方向性は、人間の行動や認識の自由の拡大という規範的なものであることが窺われる。このような考え方は、人間の精神の機能をもっぱら理性に見出すデカルト的心身二元論に対するアンチテーゼであるとともに、人間のあり方を純粋に生物学的に説明しようとする生物学主義とも一線を画すものである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究の成果は、佐藤透編著の共著『人間探究─現代人のための4章─』(2017)の第1章「人間の全体像」(総ページ数62ページ)として発表された。研究代表者の執筆担当箇所は、「アリストテレスからデカルトへ」「生物界における人間の位置づけ」「人間の身体性と言語」という三つの節から成る。そこでは、上の「研究実績の概要」欄に記載されているような研究成果を発表することができた。一方で、年度当初の研究実施計画にあったカッシーラー研究については、十分に展開することができなかった。そのかわり、本年度の研究には、近年の比較認知科学の成果や言語進化学の分野での成果(T・W・ディーコンなど)を取り入れることができた。その内容は、今後おこなわれるであろうカッシーラーのシンボル哲学についての研究の基盤となることが期待される。以上の理由により、本研究課題はおおむね順調に進展していると評価できる。
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Strategy for Future Research Activity |
平成30年度においては、現代の英米圏においてアリストテレス的自然主義の立場から認識論や倫理学を展開しているマクダウェルの「第二の自然の自然主義」の内実について、『心と世界』(1994)と「二種類の自然主義」(1996)を中心にして基本的な整理をおこないたい。 デカルトの物心二元論やヒュームらによる世界の脱知性化の試み以来、自然的世界は人間的意味や価値を容れる余地のない「死せる物体」の世界となった。一方で、人間の心については、デカルトが考えたような物理的世界には何ものをも負わない実体とされるか(マクダウェルのいう「威丈高なプラトニズム」)、逆に物理的性質に還元されて説明されるか(「露骨な自然主義」)という二者択一に陥っている。マクダウェルは、このような「威丈高なプラトニズム」と「露骨な自然主義」とは実は共犯関係にあるのであり、そのような近代的二項対立に陥る以前のアリストテレス的な世界観を範にとろうとする。 その際、マクダウェルは、アリストテレスがいう人間の自然本性の探求にあたっては、現代の生物学の成果がそれを提供してくれるという生物学主義的なアリストテレス解釈を拒絶する。マクダウェルによれば、人間の自然本性(テロス)とは徹頭徹尾合理性によって浸透されており、その意味において、それはすでにして生物学的なものを越えた規範的な概念であると考えるべきなのである。 この年度においては、人間の自然本性の規範性をめぐるマクダウェルの立場を整理していきたい。そのうえで、マクダウェルの思想が、人間の本質を「世界開放的」存在とする哲学的人間学の理論とどのように関連づけられ得るのか考察してみたい。
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Causes of Carryover |
平成29年度において次年度使用額が生じた理由は、主に物品費(特に図書購入費)に関連している。本年度の研究は本研究課題全体への導入という位置づけのものであり、かなり一般的な内容のものであったため、個別的テーマの文献を大量に購入するには到らなかった。また、本年度の研究は、主に独仏圏の哲学的人間学に関連するものであり、この分野の図書のなかには、すでに所属研究機関が所蔵しているものも相当数あった。次年度においては、特にマクダウェルなど英米系の哲学者の文献の購入が新たに必要となるので、本年度の未使用分は主にそちらに充てる予定である。
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Research Products
(1 results)