2019 Fiscal Year Research-status Report
現代独仏圏の哲学的人間学とJ・マクダウェルのアリストテレス的自然主義
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17K02156
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Research Institution | Iwate University |
Principal Investigator |
音喜多 信博 岩手大学, 人文社会科学部, 准教授 (60329638)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 哲学的人間学 / 現象学 / シェーラー / メルロ=ポンティ / マクダウェル |
Outline of Annual Research Achievements |
交付申請書の「研究実施計画」では、令和元年度においては、「マクダウェル=ドレイファス論争」について研究を行う予定であった。しかし、この課題については、平成30年度における、マクダウェルとメルロ=ポンティの認識論を比較する研究のなかで、大部分が達成された。そこで、本年度は、メルロ=ポンティが大きな影響を受けているM・シェーラーが、プラグマティズムに対してどのような評価をしているのか、ということを考察の主題とした。具体的には、シェーラーの「認識と労働」(1926)などにおけるプラグマティズム評価について、詳細な分析をおこなった。その結果、以下のことが明らかになった。(1)シェーラーは、プラグマティズムにおける行為と知覚の不可分性の主張を高く評価し、それを発展させるかたちで自らの「衝動的-運動的」知覚論を展開した。そして、このような知覚のあり方が、知的認識以前のわれわれと世界との原初的な交流の層を形成していることを明らかにした。(2)しかし、シェーラーは意味の理論や真理論のレベルでは、プラグマティズムを批判している。つまり、ジェイムズやシラーが考えるプラグマティズムが、意味や真理を「行為への有用性」という観点から定義しようとするのに対して、シェーラーは、そのような定義は論理学的な背理や相対主義に導くということを指摘している。(3)シェーラー自身は、思考されているものと直観されているものとの「合致の統一」という現象学的な観念を保持しようとする。シェーラーによれば、真理とはそれ自体が説明的な概念であるというよりも、直観の十全性と「合致」の明証性の経験のうちに現象学的根拠をもつ。そして、プラグマティズムの知識論が正当性をもつのは、あくまで哲学以前の「支配知」のレベルにおいてであり、意味や真理の理論は、人間の世界支配の衝動を越えた精神的な「本質知」のレベルで展開されるべきなのである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
平成30年度までの研究において、「交付申請書」の当初の研究実施計画から、若干の研究方向の変更がなされてきた。主たる変更点としては、当初はカッシーラーのシンボル形式の哲学も主要な研究対象としてきたが、現在では、シェーラーとメルロ=ポンティというふたりの現象学的人間学の哲学者に研究の焦点が集中しているということがある。その理由は、研究の過程において、哲学的人間学とプラグマティズムとの関連をより深く分析する必要が生じたが、カッシーラーはプラグマティズムについては主題的に論じていない、というところにある。しかし、このことは本研究が進捗していないということを意味するのではなく、研究の方向がより包括的なものとなってきたことを意味している。つまり、本研究は、マクダウェルのみならず、プラグマティズムおよびネオ・プラグマティズムの思想動向全般をふまえたものとなってきており、その点でより射程の広いものとなってきている。以上の理由から、本研究はおおむね順調に進展していると評価できる。
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Strategy for Future Research Activity |
前年度までは「認識論」に焦点を当てて考察をおこなってきたが、その過程において、事実の認識と価値の把捉とが不可分であると考えられているところが、プラグマティズムとシェーラーやメルロ=ポンティの理論の共通の特徴であることが分かった。そこで本年度は、これまでの認識論的な考察をふまえながら倫理学的な考察をしてみたい。具体的には、「徳倫理学」という観点から、シェーラー/メルロ=ポンティとマクダウェルの比較をしてみたい。マクダウェルがアリストテレスを現代的な観点から解釈し直すことによって「徳倫理学」を積極的に展開しているのに対して、シェーラー/メルロ=ポンティの理論は、厳密な意味では「徳倫理学」であるとは言えない。しかしながら、つぎのような意味において、彼らの理論はマクダウェルのそれと近縁性をもっている。(1)シェーラーの価値倫理学において重要視されているのは、普遍的な行為の規則を定立しそれに従う理性的能力ではなく、価値を感得する原初的な様態である「感情」の秩序が適切に形成されていることである。この点において、シェーラーの考え方は、マクダウェルが重視する人間の「陶冶」の考え方に近いと言える。(2)(ドレイファスが理解する)メルロ=ポンティにおいては、われわれが親しみのある実践空間のなかで自在に行為できることや、職人が道具を自在に操って製作を行うことは、一種の身体的な熟達として捉えられる。そこで必要とされていることは、やはり普遍的な規則に従うことではなく、状況に促されながら適切に判断・行為できるという徳倫理学において重視される能力である。このような観点から、マクダウェルとシェーラー/メルロ=ポンティの理論の異同を明らかにし、その成果を「第二の自然の自然主義」というマクダウェルと哲学的人間学に共通の主題のもとに包括するような研究を行うことによって、4年間の研究の総括としたい。
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Causes of Carryover |
令和元年度において次年度使用額が生じた理由は、大きくわけて次のふたつである。(1)ひとつ目は、主に物品費(特に図書購入費)の使途に関連している。本年度は、当初の計画から若干の研究内容の変更をおこない、シェーラーのプラグマティズム評価についての研究に集中することとなった。シェーラーに関連する一次文献、二次文献は、すでに所属研究機関に所蔵しているものもあり、それほど図書の新規の購入をする必要がなかった。(2)ふたつ目は、本年度下四半期における新型コロナウイルス感染症の拡大に伴うものである。このことによって、香川大学で開催予定であった研究会が中止になり、その分の旅費が使用されなかった。また、業者に発注していた物品の納品が遅れたりして、予定していた予算の執行がなされないことがあった。 次年度の使用計画については、以下のとおりである。今年度の研究の結果、現象学的人間学と対比させるべき対象が、マクダウェルだけではなく、プラグマティズムやネオ・プラグマティズム一般へと広がったため、この分野に関連する文献の購入が新規に必要となる。また、遠隔での研究会や打ち合わせ等に参加するためのコンピュータ関連の周辺機器なども購入する必要がある。本年度の未使用分は、主にそれら(物品費)に充てる予定である。
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Research Products
(1 results)