2017 Fiscal Year Research-status Report
革命前ロシアにおける娯楽文化としての中小音楽劇場―上演演目・批評・受容の研究
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17K02350
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
平野 恵美子 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 助教 (30648655)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | ロシア音楽 / マーモントフ / 私立オペラ / ボリショイ劇場 / マリインスキー劇場 / 農奴劇場 / 帝室劇場 / バレエ・リュス |
Outline of Annual Research Achievements |
豊かな芸術文化の国として知られるロシアは、バレエや音楽などで常に優れた才能を輩出している。ボリショイ劇場(モスクワ)やマリインスキー劇場(サンクトペテルブルク)は、その象徴であり、ロシア芸術を代表する存在だと言える。しかしこの広大な国の音楽芸術文化の諸相は実に様々で、モスクワとペテルブルクの二都市だけでも、無数の劇場やコンサートホールがあり、その運営方法も公的なものから私設のものまで幅広い。特に19世紀半ば以降、資本家が台頭し、芸術家のパトロンとなって私立のオペラ団を経営する者も現れ、その水準や革新性は、マリインスキー劇場やボリショイ劇場のような帝室劇場に匹敵するか、凌駕し、影響を与えるほどだった。またこのことは、ロシアの貴族文化の伝統とも関係があると考えられる。ヨーロッパの貴族は昔から、自分達の邸宅に小劇場を持ち、使用人を出演させたり、時に自らが出演して演劇を楽しむという習慣があった(それは自分達の楽しみだけではなく、賓客をもたらしたり、支配者たる王を讃えたり、あるいは自分達の財力を誇示し、権威を高めるために行うこともある)。ことロシアにおいては、農奴劇場というものがあり、農奴俳優や農奴音楽家の存在が知られている。一方、上流階級の貴族達も、非常に高度な音楽教育を受けていたことが明らかになりつつあり、私達が現代の常識や物差しで想像しているだけでは、その本当の姿を知ることはできない。本研究では、当時の新聞や批評など一次資料を用いて、19世紀後半のロシアにおける、音楽・劇場文化の実態を明らかにして、日本でも人気の高いロシア音楽のさらなる理解を深め、最終的には政治や経済の状態に左右されずに、日本とロシアの友好的な関係を築くことに貢献するのを将来の目的に据えている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年は初年度ながら、実りの多い年になったと思う。まず、共訳『ラフマニノフの想い出』を上梓することができた。本書は、日本でも非常に人気の高い音楽家のセルゲイ・ラフマニノフとの交流や想い出を、友人や家族が語る回想録である。ここに掲載された文章は、これまで論文などで部分的に紹介されることはあったが、書籍の形で全文が日本語に翻訳されるのは、今回が初めてである。ラフマニノフの伝記的な記述としては最も古いものであり、その後、新たに書かれた伝記や研究書などで繰り返し引用されて来た。一次資料としては最重要文献の一つであり、永らく翻訳が待ち望まれていた。回想録にありがちな事実関係の確認・訂正も、詳細な註によって補われている。偉大な音楽家の生涯に新たな光を当てる資料としても、ロシア革命前後の時代を生きた人々の生の証言としても、正規の変わり目のロシア芸術文化や音楽生活を知る上で、大変貴重な資料となっている。帝室劇場以外の音楽活動についても、紹介できたと思う。また、これに伴い、日本ロシア文学会主催の公開シンポジウム『ロシアの文化 その魅力と鑑賞法』やレクチャー・コンサート「ラフマニノフの夕べ」を開催し、研究の成果を書籍以外の形でも広く還元できたのではないかと考える。また、資料収集も順調で、モスクワやペテルブルクの図書館や演劇博物館で、当時の新聞記事などを多く複写することができた。グリンカの家や、サッヴァ・マーモントフと並ぶ芸術家のパトロンだったテーニシェワ公爵夫人が芸術家コロニーを持っていたスモレンスクも初めて訪れることができ、新たな資料を入手することができた。
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Strategy for Future Research Activity |
【現在までの進捗状況】で述べたように、本年は多くの資料を集めることができたが、これらの資料をこれからしっかり読み解き、整理・分析・考察を推進していかなければならない。また、スモレンスクを訪れたことで、あらためてロシアの広大さと、その特殊な地理的条件下で、都市の音楽芸術文化がどのように育まれたのか、これまで自分が当たり前に思っていた常識を疑い、視点を少し変えて新鮮な目で見る必要があることを意識した。例えばスモレンスクは、現代でもモスクワから列車で4時間ほどかかり、またグリンカの家博物館はスモレンスクの郊外にあって、さらに車で2時間以上かかる。列車も車も無い時代にこれほどの距離において、どのように芸術の交流が行われていたのか探る必要があると感じられた。そしてそれはロシア国内だけではなくて、欧州全体についても言える。こと革命前のロシアは、資金力が豊かな皇室や貴族が、西欧から大勢の芸術家や教師を招いていて、欧州全体で人の往来が活発だったのである。これに関しては、ロシア以外の地域(仏伊独墺英など)を専門とする他の研究者との協力を一層密にして、研究会などで積極的に議論を重ね、情報交換を行なっていきたい。実際、19世紀の状況を知るために、前史ともいうべき18世紀についての勉強も積極的に行っていくつもりだが、現在、発生期のバレエについての研究会を新たに立ち上げる予定でいる。最初期のバレエは、オペラと不可分であることから、この研究会はバレエ研究会の中だけで開催するのではなく、オペラ・音楽研究の枠組みの中で行う予定でいる。これにより、棲み分けのような状態ができてしまっているオペラ研究とバレエ研究をつなぐことも目指している。 また、今年はラフマニノフが作曲活動を行なっていたタンボフ県イワノフカを訪れ、郊外から都市を見るという視点で、当時の音楽芸術文化についての考察を一層、深めたい。
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Research Products
(11 results)