2017 Fiscal Year Research-status Report
Ethnogenesis of the Franks: from the view points of origin legend and of chronology
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17K03170
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
佐藤 彰一 名古屋大学, 高等研究院, 名誉教授 (80131126)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 青銅器時代後期 / システム崩壊 / タルテッソス / イベリア半島 / ブリテン島 / 錫 / ヘルゴラント島 / フランク人の起源 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成29年度の作業の内実は、本研究課題の終了から、時間をおかずに出版する予定の研究書を研究調査と並行して執筆した「第1部起源の地を求めて」と題する400字詰め原稿用紙換算150枚の原稿である。それは最近の先史学研究と、文献史料の調査を基本にする歴史学との接合を意図した内容である。「第1章大西洋世界の展開と青銅器時代後期システムの崩壊」第一節東地中海からのアウトリーチ/フェニキア人の西漸/フェニキア人のタルテッソス/南イベリアのフェニキア人植民定住地/ウエルバ出土品のコンテクスト/モロッコとフェニキア人。第二節 大西洋世界の展開/フェニキア人のイベリア半島北西部への進出/錫の島カッシテリデスとオエストリムニス/ブリテン諸島における青銅器生産/ブリテン島の錫生産/人的交流と言語の共通化:ケルト語の生成第三節 世界システムの「成長局面」と青銅器社会の崩壊/アフロ・ユーラシア世界システムの形成へ/転換期の不安と宗教実践としての埋納/大西洋システム内部の変動/ラ・テーヌ戦士社会の生成 「第2章 北海・バルト海地方と東地中海文化の接触」第一節ピュティアスの北方探索/ピュティアスの著作をめぐる真贋問題/アレキサンドロス大王の眼差し/ピュティアスの航路-ディオン説/カンリフの仮説/「テューレ」とは何処か/ピュティアスはバルト海に入ったか第二節 ギリシア人とバルト海・北海地方/懐疑主義を越えて/アルゴナウタイの航海/ヘロドトゥスの証言/ 第三節 ヘルゴラントと琥珀交易/禁域としての交易地/琥珀についての古代の伝承/琥珀の島は何処か/ヘルゴラント島の地形学的変遷と考古学的遺物/エーエンの遺物/ヘルゴラント島とミケーネ世界との交渉/ヘルゴラント島とギリシア文化/ヘルゴラント島とアトランティス伝承/「バウノニア」とフランク人の起源の地。 以上が平成29年度の執筆分である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
トゥール司教グレゴリウスは、フランク人の起源の地を、ローマ属州名でパンノニアと証言している。これまで数多くの学者が、この事実について考察してきた。しかし、この事実は「フランク人」が言語の点で西ゲルマン語に属し、現在のオランダから北西ドイツとする見方と大きなズレが見られる。申請書はこのグレゴリウスの証言を踏まえて、パンノニア(現ハンガリー)が起源の地であるとする見解を支える歴史的根拠について、考察を深めてきた。その一端は昨春フランス語で著した論文Shoichi Sato,"《Fugit in Toringia, latita aliquatulum ibi》. Pourquoi Childeric 1er s'exila-t-il en Thuringe?, in Orbis Disciplinae. Hommages en l'honneur de Patrick Gautier Dalche, Brepols, 2017, pp.465-480として公刊した。本研究課題はこの論文が扱った時代を挟んで前後に時代的射程を拡大したものである。平成29年度の作業は、現在の歴史的フェーズの発端となった紀元前12世紀の、後期青銅器時代にあたる頃のシステム崩壊の時期からたどり、鉄器時時代後期からローマ時代初期にかけてを考察した。平成30年度は「ローマ時代の琥珀交易」へのゲルマン人の関わり合いを証言しているタキトゥスの言説を手掛かりに、ローマでの琥珀交易の拠点であったパンノニアに所在したCarnuntumについての考察と、琥珀交易で栄えた「テューリンゲン」を考察し、初期フランク史になぜこの二つの地域が登場するのかを解き明かしたいと考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
平成30年度半ばまでに、研究の第1部をなす「起源の地を求めて」を終える予定である。平成30年度後半には第2部「エトノス生成の軌跡」では、主として記述史料を通して、フランク人の部族生成の複雑な経緯を探究する。末期ローマ帝国属州史のなかで、「背教者」で有名なユリアヌス帝が、フランク人を帝国領内のトクサンドリアに入植させ、重用したことはよく知られた事実である。その結果4世紀末には、帝国の軍司令官として、政治を左右する権勢を得たアルボガストのような人物も出た。だが宮廷の修辞学者でしかなかったエウゲニウスを傀儡皇帝として、政権掌握を試みたアルボガストは、394年にテオドシウス1世に敗れたことで、ローマ帝国のなかでのフランク人の権力は一気に霧散した。この時期から約半世紀は、フランク人に関する記述が、ほとんど歴史の表面から消えるのである。クローヴスの父キルデリクス1世が、歴史の表舞台に登場する460年代まで、60年間はフランク史の「暗黒時代」、すなわち確たる事実の確定が困難な時代である。欧米でもこの分野の研究者が様々な仮説を提出して、この時代に光を当てようとしているが、まだ説得的な歴史像として結んではいない。私見によれば、大きな問題はこの時代がまさしくフン族が帝国の縁辺部に定着し、その勢力を帝国に着実に浸透させていた時代に対応する。ローマ世界の周縁に位置するゲルマニアは、確実にその影響下に入ったはずであるが、その詳細は知られていない。7世紀に書かれた『フレデガリウス年代記』には、クローヴィスの父キルデリクスが若い時分に母とともにフン族の人質になったことを語っているが、多くの歴史家はこの事実に注目せず、したがってフン族とフランク人の関係にも本格的な検討の鍬を入れていない。最新の考古学的成果を採り入れて行う分析が、今後の研究のハイライトになると考えている。
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Causes of Carryover |
次年度使用額が生じたのは、あまりに少額で単独で支出するのは、不必要な出費になると判断したからである。
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