2018 Fiscal Year Research-status Report
Ethnogenesis of the Franks: from the view points of origin legend and of chronology
Project/Area Number |
17K03170
|
Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
佐藤 彰一 名古屋大学, 高等研究院, 名誉教授 (80131126)
|
Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
Keywords | タキトゥス / ゲルマーニア / 琥珀交易 / バルト海 / 東地中海世界 / 黒海 / 南ロシア / アルゴナウタイ |
Outline of Annual Research Achievements |
タキトゥスが『ゲルマーニア』を著した後1世紀以前の北西ヨーロッパを生活圏とした「ゲルマン人」の実態を探る一環として、彼らの経済生活を解明しようとした。筆者はタキトゥスの前掲書第45章に見える、ゲルマン人の琥珀交易の実態を解明したいと考えた。琥珀は松材に含まれる樹脂が化石化したもので、北海沿岸からバルト海南岸、南東岸、東岸を産地としている。古代の著作家の記述にはシチリア島や地中海北岸のリグリア地方でも産するとあるが、通常琥珀酸10~13%含まれるのに、これらの地域から産するものには琥珀酸の含有が欠けていて、紛い物である。真正の琥珀は「北の黄金」と称され、装飾品、薫香剤として重宝され、現在の中東地域まで「輸出」された。この点は最近シリアで発見された貴族身分の女性の墓から見つかった琥珀ビーズが蛍光スペクトラム分析で、バルト海産の琥珀であることが実証されている。 研究は古典古代の著作家の記述の網羅的な調査と、そこから浮かび上がるバルト海地方とギリシアを初めとする東地中海地方との交易のルートの調査を行なった。後者の問題は主に最近の考古学研究の発掘報告書に導かれた。ホメロスも含めて、ホメロス以前の琥珀に関する所見があり、筆者が注目したのは交易ルートのうち、おそらく最も古いと思われるものがバルト海から南ロシアを経て、黒海に至るルートである。それはトロイ戦争が起こったとされる前1200年よりも古い『アルゴナウタイ』の伝承に反映していると思われる。「アルゴナウタイ」の航海者たちが、黒海から現在のアゾフ海に入り、ドン川を遡り、いくつかの河川ルートを使って、バルト海と思しき海に達し、そこから北海に入り、イベリア半島を周航し、「ヘラクレスの柱」すなわちジブラルタル海峡をへて、地中海経由で故郷ギリシアに帰還するのである。北西ヨーロッパと東地中海世界との交易は、想像以上に古い歴史を持っているのである。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本研究課題は、ゲルマン人の一集団「フランク人」の初期史を掘り起こすことであるが、この民族集団は後2世紀中頃に始まリ、既存の北西ヨーロッパの諸民族の政治的布置状況を大きく変動させたとされるマルコマンニ戦争での諸集団の離合集散の結果誕生したとされている。古代の著作家たちの証言から、この「フランク人」はシャマヴィー、シャットアリアー、ブルクテル、アムスヴァリアなど多くの小集団が同盟を組んで成立したとされる。この集団が成立した後の、4、5世紀に研究を絞るのが本来の計画であったが、これまでの検討でこれらゲルマン集団が歴史時代に入って以降、外部世界とどのような関係を取り結んでいたかについての研究が、ほとんど存在しないことが分かった。一方で、「ゲルマン人」という呼称はカエサル、ついでタキトゥスが用い始めたことで人口に膾炙したが、ギリシア人古典著作家は「ゲルマン人」という表現を知らず、もっぱら「ケルト人」を表現するケルトイとという呼称で指している。ここに一つの問題が横たわっていて、最近の人名研究でもゲルマン部族の王の名前が、ケルト語起源であることが明らかにされている。なにゆえにカエサルが彼らを「ゲルマン」と称したのか、この問題は北西ヨーロッパ初期史の再構成には無視し得ない問題であり、同時にケルト人と東地中海、ギリシアとの関係についても立ち入って、調査・検討をしなければならなくなった。
|
Strategy for Future Research Activity |
今年度はローマ史の側から研究を進めることにしている。ローマ人による北西ヨーロッパへの政治的進出の詳細な歴史過程は本格的に論じられているとは言い難い。大陸北西ヨーロッパでライン川の彼岸が「ゲルマーニア」と称され、ローマ帝国の版図外にされたために、帝政初期にエルベ川までのローマ勢力の進出の具体的で詳細な歴史が等閑に付されて来た。西暦110年代に始まる、バルト世界近辺までのローマの進出がなにを目的として、どのような様相を呈しつつなされたか、そして結局のところライン川までで自らのヘゲモニーを止める決断をしたのか。この問題をローマ帝国内部の事情からというより、むしろ「ゲルマン」世界の状況から、その理由をあぶり出すことを中心に研究を進める。このことにより、ゲルマン世界深部での諸部族の離合集散、再編成の事情を一般論ではなくして、より具体的に理解することができると思われる。
|
Research Products
(6 results)