2017 Fiscal Year Research-status Report
資本論から贈与論へ―利子の解像力に関する学際的研究―
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17K03185
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Research Institution | Osaka Prefecture University |
Principal Investigator |
佐々木 博光 大阪府立大学, 人間社会システム科学研究科, 准教授 (80222008)
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Project Period (FY) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 財団 / 利息 / 贈与主義 / 慈善 / 営利 / 資本 / 資本主義 / 宗教改革 |
Outline of Annual Research Achievements |
中世には利息の取得は教会によって厳禁された。ドイツ語圏で利息取引の禁止が緩むのは近世以降である。宗教改革期に擁護された利息が、公益に奉仕する財団の利息であり、私益に奉仕する営利の利息ではなかったことを証すために、宗教改革者の利息考を検討した。概ね想定した通りの結果が得られつつある。例えばマルティン・ルターは、当時社会に通用しており、後に帝国警察令で法的にも認可された年利5%までの利息の正当性に配慮する姿勢を示しつつも、営利の利息には断固拒否の態度で臨んだ。そのルターも公益に奉仕する財団の活動には積極的で、その利息には好意的な態度を示した。ルターはヴィッテンベルク大学の神学生を助成する趣旨で後援者から500グルデンを託された。彼はできれば二人の神学生を支援したいがために、高利回りで安全な投資先を探すのに奔走した。その姿は現在の投資家を彷彿させ、善意の利息がルターの営利衝動を暗に刺激しているのが分る。最終的にルターはリンツ市に資金を預ける決心をしたのだが、リンツ市が資産を運用する際に営利の利息に関わった可能性も否定できない。宗教改革者の意向とは関係なく、慈善の利息は営利の利息を刺激した。宗教改革者、その他16世紀の宗教者の利息考は、どれもそのことに気を留めなかった。しかし17世紀になると利息考の論調は変化する。1616年にザクセン公国のある聖職者が書いた利息考は画期的で、従来断固否認された「高利」Wucherも「必要高利」Nothwucherであれば許されるという。ここで「必要高利」と言われているのは、まさしく慈善の利息である。そして「必要高利」を確保するために、これまで違法とされた「高利」も条件付きで認めざるを得ないというのが、この利息考の趣旨なのである。 わたしは最初西洋では贈与慣行が営利衝動の緩衝材になっていると考えたが、両者に相乗効果もあったという側面が新たに浮上した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
海外史料調査の成功、とくに今年3月に行った調査の成功が、研究を飛躍的に進展させた。新史料の発掘によって、研究課題も当初の課題をベースに大いに広がっている。ヘルツォーク・アウグスト図書館で、「利息」Zins/Wucherと入力しキーワード検索でヒットした史料200余点を、古い時代から順に片っ端から読んでいる。史料の量をこなすことで、利息をめぐる論調の変化をつかむことができた。営利の利息を真っ向批判するのが16世紀の宗教文献の論調であった。それは中世来の利子批判の延長であった。しかし16世紀の宗教家たちは「財団」Stiftungを運営するための善意の利息にはおしなべて肯定的である。否定されたのは営利の利息であった。しかし慈善の利息を上げるには資産運用が必要になる。むろん営利の利息とも関わらざるを得ない。16世紀の宗教者たちはこの点に思い至らなかった。17世紀、とくに三十年戦争期には、利息をめぐる論調に変化が生じる。中世来利息批判の議論は、債務者の保護に焦点があった。三十年戦争期になると債権者の保護という論点が新たに浮上する。債権者の手に無事戻れば公益の増進のために回される資金が、貸し倒れの状態になっていることを憂える論調が増える。慈善の利息を上げるために条件付きで営利の利息を容認する宗教文献も登場する。 わたしは当初、近世以降の利息擁護の議論で問題になったのは、これまで考えられてきたような営利の利息ではなく、慈善の利息であったことを検証するという課題を立てた。利息擁護は資本主義の文脈ではなく、贈与主義の文脈で議論されるべきだというのが、本来の主旨であった。しかしいまは慈善の利息が営利の利息を刺激するという側面があることが見えてきた。贈与主義は資本主義の触媒にもなり得た。当初の課題をベースに新たな視点が開けたのを実感している。
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Strategy for Future Research Activity |
上に記したように、海外史料調査が研究の飛躍的な進展・進化をもたらした。夏のバーゼルではスイスの宗教改革者の利息を扱った貴重な文物を入手することができたし、春のヴォルフェンビュッテルでは未知の史料群に遭遇する幸運に恵まれた。今後もバーゼル大学図書館でスイスの利息擁護に関する文物を、ヘルツォーク・アウグスト図書館でドイツのそれに関する文物を収集し、解読する作業を続けたい。この作業を19世紀の利息をめぐる文物にまで広げ、初期の経済学、経済法が利息の問題とどのように取り組んだのか、それは利息をめぐるそれまでの議論をどのように摂取したものなのかを考察したい。この課題は関連文献を古い時代から時代順に読破するというこれまでの研究手法で十分対応できる。 入手した史料の公表も今後の課題となる。論文の作成はもとより、数点の史料に関しては単独で紹介したり、もしくは翻訳する値打ちのあるものである。関連史料の広角的な公表を心がけたい。 これまでの利子の解像力の考察から明らかになったことは、慈善の利息が営利の利息を促進したということ、つまり贈与主義が資本主義の前提になったということである。少なくともドイツ語圏地域ではこれが言えるし、おそらく西欧を見渡してもこれが言えると思う。日本や、その他の西洋に学ぼうとした後発先進国や途上国は、間違いなく前提である贈与主義を捨象し、帰結である資本主義のみを性急に受容しようとした。それらの国々が現在見舞われているのは、社会の停滞・劣化である。現在わが国で議論されている持続可能社会の軌道にこれらの国々を乗せるためには、西洋の価値観から離れるのではなく、資本主義の前提になった贈与主義も含めた西欧の学び直しが必要である。日本の西洋学の受容がいかに資本主義の受容一辺倒に偏っていたのか、日本の西洋学研究史の批判的考察を合わせて進めたい。
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