2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
18520494
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
平 雅行 Osaka University, 文学研究科, 教授 (10171399)
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Keywords | 鎌倉幕府 / 園城寺 / 鎌倉寺門派 / 将軍護持僧 / 円親 / 隆弁 / 尊星王法 / 増基 |
Research Abstract |
本年度は寺門系幕府僧の事蹟を検討した。そのうち主要な寺門系幕府僧105名について、その事蹟を記した論文「鎌倉寺門派の成立と展開」(400字詰め換算290枚)を執筆した(現在印刷中)。 この作業を通じて、次の事実を新たに明らかにした。 1.源氏将軍時代は寺門重視政策がとられ、別当・供僧に寺門僧が多く任命されたが、質に問題があったため、鎌倉幕府は重要な法会では、京都から高僧を招へいして導師をつとめさせた。 2.鶴岡別当公暁(寺門)が将軍実朝を暗殺すると、幕府は寺門重視政策を転換した。四天王寺別当職をめぐる争いでも幕府は園城寺に冷淡であった。なお、将軍護持僧の円親と、将軍祈祷に従事した円意とは、これまで別人と考えられてきたが、検討の結果、同一人物であることが判明した。 3.北条時頼は将軍頼経との戦いを通じて隆弁に深い信頼を寄せた。その結果、幕府の寺院政策は隆弁の影響をうけ、極端な寺門贔屓政策をとるようになる。但し密教祈祷は寺門も含め低調となった。 4.モンゴル襲来を契機に、幕府は異国降伏のため密教振興をはかった。鎌倉の顕密仏教は最盛期を迎え、幕府僧はさらに園城寺・延暦寺・東寺・東大寺など畿内権門寺院へと進出していった。 5.鎌倉末期、実相院増基が鎌倉寺門派の中心となり、大法の尊星王法を修した。幕府が崩壊して室町幕府が成立すると、増基・房仙などの寺門系幕府僧は室町幕府の武家護持僧に転身していった。
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