2007 Fiscal Year Annual Research Report
九州における織豊期城郭に関する研究〜旧族大名大友氏と小早川氏の比較を通して
Project/Area Number |
18520503
|
Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
木島 孝之 Kyushu University, 人間環境学研究院, 助教 (20304850)
|
Keywords | 城郭 / 縄張り / 織豊期 / 九州 / 旧族大名 / 高崎山城 / 大友氏 / 小早川氏 |
Research Abstract |
19年度は、期間を通じて高崎山城・立花山城・名島城の縄張りを調査・分析する基礎作業となる文献・絵図史料の調査を継続的に行いつつ、高崎山城跡遺構の現地調査・実測に力点をおいた。 まず、昨年度に確認した名島城の地籍図に関して、当初考えていたよりも時代が降り、大正期のものであることがわかった。しかしながら、名島城下町の旧態を推定する最も有効な史料である点には変わりはない。なお、絵図の所在を確認したところ、現在、原品の行方は不明で、写真しか確認でき、なかった。その写真では細部の映りが非常に悪く、現行地籍図との照合などを勘案した復元作業が必要である。この作業には相当の時間を要することから、今年度に予定していた名島城下町に関する論考の作成は果たせなかった。代りに当面の措置として、歴史雑誌にごく僅かながら骨子を掲載した。 研究案の中核の作業となる高崎山城跡の遺構調査の進捗については、想定外の家庭の事情(長女出産に係る育児。4月〜11月の父親の入院・死去に係る諸事)に天候、学務が重なって日程の確保が思うに任せず、予定よりも大幅に遅れてしまった。それでも、新主郭部を中心に遺構全体の六割程度の範囲は終了した。その中で特に成果として、虎口部分で、当初確認していたよりも織豊系の縄張り技術の影響を受けた更に細やかな工夫がみられることを確認した。近年、戦国後期から豊臣政権期の大友氏の拠点について、府内から臼杵に移転されていたとする見解が脚光を浴びている。しかし、途中経過ながら今年度までの高崎山城跡の調査結果に照らせば、これとは全く逆の結果が得られそうである。つまり、大友氏は豊臣政権への参画を期に織豊系縄張り技術の影響を受けて高崎山城改修し、当城を核に膝下の府内で豊臣大名としての再スタートを切ろうとしていた、と考えられる。 今年度は、10月頃までに高崎山城跡の現地調査・実測の遅れを回復し、年度末には8割以上を終えることを目標とする。
|
Research Products
(1 results)