2006 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
18520522
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Osaka Sangyo University |
Principal Investigator |
桂川 光正 大阪産業大学, 人間環境学部, 教授 (30177422)
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Keywords | 帝国 / 阿片 / 麻薬 / 満洲 / 関東州 |
Research Abstract |
上海国際阿片会議(1909年)と第一回ハーグ国際阿片会議(1912年)に対して日本政府がどのような姿勢で臨み、どのように対応したのかを、主に外務省記録によって検討した。 日本政府は、上海会議で、台湾における「漸禁主義」という名の下での事実上の吸煙放任を、各国、特に米国が容認することが分ると、会議そのものに対する関心をなくしてしまったように見える。 日本政府は第一回ハーグ会議に際して、台湾に於ける阿片制度、関東州・満鉄附属地における吸煙用阿片の製造販売使用流通の容認、モルヒネとコカインの製造販売の容認を取り付けようとし、基本的には、その目標を達成することができた。それはしかし、会議の場で日本が達成に向けて主体的積極的に行動した結果ではなく、参加各国の利害が様々に入り組む中で、会議の流れがたまたま日本に有利な方向に動いた結果に他ならなかった。 以上の知見をこれまでの諸研究と重ね合わせて考えると、第一に、日本から輸出するモルヒネ・コカインの流通販売使用の問題とセットにして捉え考察しない限り、関東州・満鉄附属地における阿片制度の実態を正確に把握しその真の意義を理解することはできないのではないかという見通しが立った。第二に、英米両国のこの時期の国内阿片麻薬政策と阿片麻薬に関わる対外政策の両方について、両国の阿片・麻薬に対する考え方や姿勢と両国のアジア政策全体とをもう一度踏まえた上で、考え直してみる必要があることも分った。この課題についての従来の研究は、一般的に言って、政策をやや単純化して捉えていたのかもしれず、各国、特に英米両国にとってそもそも何が国益であったのかという問題から考察し直してみることが、とりわけ必要であるように思われる。
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