2009 Fiscal Year Annual Research Report
西ドイツ「第二の建国期」におけるドイツ社会民主党の変容
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18520564
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
安野 正明 Hiroshima University, 大学院・総合科学研究科, 教授 (80202365)
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Keywords | 戦後ドイツ / 社会民主党 / 1960年代 |
Research Abstract |
夏季休暇期間を利用してボンに在るドイツ社会民主党文書館で史料収集を行ったが、本年度特に重点を置いたのは、1966年の保革大連立政権の樹立前後からブラント政権樹立の1969年までの時期における社会民主党(SPD)の動向を再考するための一次史料収集であった。その際に留意したのは、地方組織の対応まではカバーできなかったが、党幹部会常任幹事会(Sitzung des Prasidiums)議事録だけでなく、党幹部会全体会議(Sitzung des Parteivorstandes)議事録、また連邦議会議員団関係文書など、広く党指導部にまとめられる諸機関の動向を対照できるように幅広く史料を集めたことである。この分析を踏まえて研究成果報告書を執筆できる。 平成21年度中に書き上げて掲載が確定している論文は1960年代前半に関わるもので、1950年代は党内アウトサイダーの代表格であったブラントが短期間に台頭し、1961年連邦議会選挙のSPD首相候補に指名されるプロセスを分析した。従来は党内基盤の弱いブラントは「選挙の顔」として利用価値があると党指導部の実力者(ヴェーナー副党首)に引き立てられて首相候補になったものの、実権はブラントにはなかったという捉え方が一般的であったが、実際は定説とは異なっていたことを指摘した。ブラントの外交政策構想をさかのぼって分析し、それがSPD主流派と著しく対立するものであったことを確認し、ブラント首相候補誕生は彼を党内アウトサイダーにしていた独自の外交・防衛政策を党指導部が受け入れていく結果として実現したもので、むしろ党指導部がブラントに歩み寄った帰結であった。つまり別々の決定と見なされていた1960年代初頭のSPD全体の外交・防衛政策の転換とブラント首相候補誕生は密接に関連しており、決してブラントが党指導部に歩み寄ったものではなかったこと、首相候補になるにあたってはブラントに強い意志と主体性があったことを明らかにした。
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Research Products
(1 results)