2018 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
18J01195
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
新井 崇之 筑波大学, 芸術系, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2018-04-25 – 2021-03-31
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Keywords | 中国陶磁器 / 官窯 / 元代 / 鈞窯 / 景徳鎮窯 / 明代 / 御器廠 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は、主に官窯の形成期(元~明初期(1271~1440頃))において、生産された磁器の変化と、官窯の役割との関連について検討した。まずは元代における税制と官窯との関連を見るため、河南省鈞窯に着目した。『元典章』巻22、磁窯二八抽分の条の内容を解釈し、元代鈞窯の生産活動や管理実態について分析した。その上で、元代の遺跡から出土する鈞窯磁器の考古資料を精査し、元代の鈞窯がいかなる制度の下で管理されていたのかを検討した。 また、景徳鎮窯に関しては、元代後期から明代初期にかけて制度と製品が大きく変化していたことが、様々な製品からも確認することができた。だが近年の研究において、明代墓葬から出土する元様式の磁器が、明代に生産されていたという説も提示されていた。そこで、磁器そのものの分析に加え、墓主の経歴、共葬品、当時の窯業制度などを多角的に検証することで、出土した磁器の生産年代を検討した。その結果、明初墓から出土する元様式の磁器は、やはり元代に生産されていた可能性が極めて高く、生産年代を明代と断定することはできないという結論に到った。 さらに、明初期の官窯についても検討を加えた。明朝政府は、現在の江西省景徳鎮に官営窯場である「御器廠」を設置した。官によって完全に統制される窯の形態は、従来のような民窯で生産された磁器を貢納する体制とは一線を画すものであり、中国窯業史上極めて大きな意義を持つ。しかし、御器廠の成立は重要な出来事であるにもかかわらず、成立した過程と年代に関して未だに定説がなかった。そこで、景徳鎮市内における最新の発掘調査の成果を基礎に、当時の宮廷制度と賦役制度について検討を加えることで、明初期における官窯体制の変化を解明し、御器廠が成立した年代を考察した。その結果、御器廠の成立は洪武35年と考えるのが妥当であり、それが磁器の変化に様々な影響を与えていたと結論付けた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当初の計画では、宋~元代の状況を中心に研究する予定であった。宋代以前は、各地の民窯から官で使用する磁器を貢納させていたが、元代以降は、陶工を匠戸という戸籍に組みこみ、決められた窯場で徭役として磁器を生産させるよう変化した。このことは中国陶磁史上の大きな変化であり、これが磁器の様式にいかなる影響を与えたか検討した。その結果、この時期の制度変化は、磁器の変化には大きく影響していなかったと判断した。戸籍制度が変更された元初期の景徳鎮では、主に青白磁が生産されていたが、そこに大きな様式の変化は見られなかった。また、元代における磁器の大きな変化として、コバルトで絵付けを行う青花の発生が挙げられるが、青花の発生時期には大きな制度変化は見られなかったのである。 一方、その後の時代である元末~明初にかけての状況を見ると、制度と製品の変化は著しく、様々な点からも確認することができた。そこで、元代後期~明代初期における変化に焦点を当てて、考古資料と作品資料の分析を行うことにした。その結果、明初において御器廠が成立したことが、景徳鎮窯におけるもっとも大きな変化であると結論付けられた。無論、先行研究においても御器廠の重要性は指摘されていたが、本研究では最新の考古発掘資料や当時の戸籍制度や税制を検討することで多角的視点から御器廠の役割を解明することができた。 さらに、次年度以降に清朝(1636~1912)の磁器を検討していくための基礎研究として、清朝官窯の歴史背景を明らかにする必要があり、関連する文献史料を時系列的に調査・検証した。その成果は、乾隆年間(1736~95)と、嘉慶~同治年間(1796~1874)の内容に分けて、2本の論文を執筆した。 以上のように、本年度は当初計画していた対象年代の変更はあったものの、おおむね順調に進展しており、次年度以降研究を進める上での基礎を固めることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
前年度は、官窯の形成期(宋~元)から、明朝政府による官営窯場「御器廠」が成立するまでの制度変化と、それらが作品に与えた影響について検討した。その結果、御器廠の成立が磁器の様式決定に極めて大きな影響を与えていたことを明らかにした。そこで本年度は、主に明代の御器廠で生産された磁器に着目し、考古出土資料を作品資料の分析を進めていきたい。以下、着目する点を具体的に記す。 明朝の初代洪武帝(在位1368~98)は、元朝の制度を継承し、宮廷で用いる瓷器を景徳鎮の官窯で生産させた。さらに、永楽帝(在位1403~24)の時代には、官営窯場である御器廠が成立し、磁器の文様と器形が多様かつ精緻になった。先行研究ではこの要因として、社会情勢の安定や朝貢圏の拡大が指摘されてきたが、申請者はそれらに加え、洪武帝と永楽帝による各種政策が、磁器生産の直接的な原動力になったと指摘でき、それを解明することが明代官窯の性格を明らかにすることに繋がると考える。また明代中期の正統・景泰・天順の三代は、土木の変により宮中が混乱し、官窯で生産される磁器にも年号銘が書かれないため、いわゆる「空白期」と呼ばれる。これまで空白期については不明な点も多かったが、近年の発掘調査によってその全容が明らかになりつつある。そこで空白期の官窯体制と磁器の変化を検討にすることで、官窯体制の不備が磁器の様式にいかなる影響を与えたのかを解明する。 以上、本年度は主に明代官窯の作品資料を分析することで、官窯体制の変化に伴って変化した点、および変化せずに継承された点を詳細に提示し、官窯の実態と歴史的意義を検討する。また前年に引き続き、清代後期の状況についても検討を加え、従来ほとんど解明されていなかった清代後期の官窯と生産される磁器の関連についても調査を進めていきたい。
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Research Products
(6 results)