2018 Fiscal Year Annual Research Report
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18J01462
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Research Institution | Ochanomizu University |
Principal Investigator |
吉元 加奈美 お茶の水女子大学, 基幹研究院, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2018-04-25 – 2021-03-31
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Keywords | 茶屋 / 近世大坂 / 新地 / 遊所 / 堀江 / 遊所統制 / 個別町 / 天保改革 |
Outline of Annual Research Achievements |
①堀江新地の特質の理解を深めるために、御池通五丁目における家質の利用状況を分析した。資金調達のために家質は広範に利用されたが、なかには返済を滞らせる家持町人もみられた。返済にあたって多くの質取主は、担保の家屋敷ではなく、それを返済額相当で売却して現銀を得ることを望み、家屋敷の買い手が見つからなければ、町内の家持町人が買得して返済した。以上から、御池通五丁目の家持町人と町共同体の特質とともに、質取主の志向性の背景に、都市の周縁に位置する御池通五丁目の家屋敷の価値の低さがあったことを明らかにした。 また、19世紀に起こった「直張紙一件」を分析した。開発当初の経緯から堀江新地は惣年寄の差配を強く受けた。差配に関わる経費は家持町人が負担したが、そこから惣年寄が利得を得ていたことが発覚し、惣年寄の差配を拒む訴願運動へと発展した。一件の経過から、場末である上に、惣年寄の介在によって家持町人に課された様々な負担が家屋敷の価値を下げ、それを担保とした資金繰りに悪影響をもたらしたこと、堀江新地内部の地域性の差異が家持町人の訴願への対応の違いに反映していたことを明らかにした。 ②大坂の遊所統制の展開を再整理し、近代初頭の政策転換を展望した。天保改革~安政期の一連の政策転換によって、公認遊女屋-泊茶屋-茶屋を統制上区別して認めた上で、それ以外の非公認売女(屋)を取り締まる、原則的な遊所統制の枠組みが設けられた。しかし、実際の統制上、その区別は貫徹しがたく、三者は徐々に均質化し、明治期には遊所の整理・統合や課税対象の明確化のために、遊女屋―泊茶屋の区別に再整理された。明治5年の芸娼妓解放令によって遊女屋・泊茶屋が否定されると、遊女商売を認められた仲間集団による不正な遊女商売を取り締まる統制も廃止された。その後、大阪における不正な遊女商売の取り締まりは、明治8年に成立した売淫取締法に基づいて行われた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は、家質の分析から窺えた家屋敷の価値の差異を踏まえて、御池通五丁目・六丁目にまたがって存在した茶屋集中区域の形成過程を検討した。茶屋集中区域が存在した家屋敷は、立地条件に規定されて家屋敷経営が困難であり、利潤を求める家持町人の意向によって茶屋が誘致された。その後、茶屋が集まる区域として徐々に発展して茶屋軒数が増加し、茶屋が隣接する家屋敷にも展開するようになった。また、直張紙一件の分析を通して、堀江新地の家持町人が茶屋から得られる利潤は、家持全体に均霑される地付株からの上前銀と、茶屋が存在した地域の家持町人に限定される店賃収入があり、堀江新地内部の町々で訴願への対応に差異を生じた背景のひとつに、重視する利潤の違いがあったことを明らかにした。 このように、個別町における家持町人と家屋敷の具体相と茶屋の存在形態の関係や、家持町人の求める利潤における茶屋のもつ意味を分析することで、堀江新地の社会構造の特質について、より考察を深めることができた。今後は、こうした分析から得られた視角・方法を生かして、他の新地についても、茶屋の検討を通してその社会構造を明らかにする。なお、本年度は道頓堀(芝居地とそれに隣接する難波新地を含む一帯)の史料調査も並行して進めており、検討を開始している。 また、大坂の遊所統制を明治初頭の展望も含めて再整理したことで、天保改革に伴う政策転換がその後の遊所統制に与えた影響について明確に示すことができた。こうした政策転換は、改革以前の茶屋の赦免地であった新地の社会構造にも大きな影響を与えるものであり、改革以降の大坂の遊所の展開を分析する上で前提となる成果であると言える。また、本研究の課題の一つである、天保改革下の施策を軸に三都(江戸・京都・大坂)の比較を行うことにむけて、基軸となる大坂の統制について認識を深めることもできた。
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Strategy for Future Research Activity |
引き続き、堀江新地について分析を進める。これまでの成果を踏まえて、小林家文書を素材に御池通五丁目・六丁目の住民の具体相や町の運営を検討し、堀江新地の特質について理解を深める。また堀江新地で営業する茶屋は、堀江新地のみで通用する茶屋株を借り、家持町人に上前銀を支払う必要があったが、堀江新地を構成する33町も茶屋株や上前銀の管理・運営に携わっていた。小林家文書のほか、名田屋清兵衛家文書(北堀江五丁目)も分析し、新地全体の運営の具体相とともに、堀江新地における茶屋の存在形態や家持町人との関係も考察し、堀江新地固有の社会構造を解明することを目指す。 あわせて、道頓堀の史料分析を開始する。道頓堀川より南側の都市域は難波村と接しており、開発に際して村領が接収されるなど、大坂の都市開発の影響を大きく受けた。明治期初頭から難波村の戸長を務めた成舞家文書(大阪城天守閣)には、こうした事柄に関連する史料が豊富に残されている。そのため、成舞家文書を主要な分析対象としつつ、水帳・水帳絵図(大阪商業大学)を用いて町の空間と家持のあり様を検討することで、道頓堀周辺の社会=空間のあり様を明らかにする。 また、天保改革以降の大坂の遊所の展開について、これまで明らかにした政策転換を前提として、社会的実態レベルの変容を具体的に分析する。天保改革時に飯盛女付旅籠屋の赦免地に指定されたのは、新堀・曽根崎・道頓堀(道頓堀南岸一帯)の「三ヶ所」で、堀江新地は幸町を除いて対象外であった。しかし、堀江新地の茶屋たちは道頓堀に移転して飯盛女付旅籠屋へと転業し、実質的に茶屋同様の営業を継続した。堀江新地と道頓堀の両方に関する史料を分析することで、「三ヶ所」に指定された地域とそうでない地域の双方から、天保改革の政策転換が与えた影響を考察する。 並行して、京都の遊所統制・天保改革の政策転換に関する史料を収集し、分析を開始する。
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