2019 Fiscal Year Annual Research Report
ローマ帝政前期における「権力と法」の研究:皇帝・元老院関係の検討を通じて
Project/Area Number |
18J20038
|
Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
逸見 祐太 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
|
Project Period (FY) |
2018-04-25 – 2021-03-31
|
Keywords | ローマ帝政 / 皇帝・元老院関係 / 元老院裁判 / 尊厳毀損罪 / 死刑 / 顕彰 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は、昨年度の元老院議決の分析結果を補強すべく、帝政前期の元老院裁判の分析を行った。 先行研究はしばしば元老院裁判から、皇帝に対する元老院の従属性を証明しようとしてきた。このような観点から、先行研究がとくに注目してきたのは、皇帝の命を脅かす者を裁く、尊厳毀損罪裁判である。尊厳毀損罪裁判では、元老院は皇帝からの圧力を受けてしぶしぶ過酷な判決を出さざるを得なかったと主張されてきた。本研究では、このような主張の是非を確かめることを通じて、帝政前期の皇帝・元老院関係を再考することとした。 上記の目標を達するために、本研究ではまず、尊厳毀損罪についての各裁判で、それぞれどのような刑罰が科されているかを一覧した。その結果、尊厳毀損罪に対しては追放刑や流刑など他の刑罰よりも、もっぱら死刑が科されていることが分かった。 帝政前期全体を通じて尊厳毀損罪と死刑とがしばしばセットになっていることを確認したうえで、本研究では次に、頻繁な死刑判決が皇帝側からの圧力に起因するものか否かを探ることとした。この問題を考えるうえでとくに重要だと思われるのが、元老院裁判の目的は、おもに社会秩序を守ることにあったという点である。帝政の創始とともに、社会秩序の維持には、現行の秩序を作り出した皇帝の存在が欠かせないと考えられるようになった。この点を明らかにするのは、元老院の顕彰行為である。元老院が皇帝の生命、ひいては社会秩序を守るのに貢献した人物を称えた事例は、複数確認できるのである。 これらの顕彰事例を分析して、元老院にとって顕彰行為が持つ意義を皇帝の生命=社会秩序の維持に求めたのが、本年度12月の古代史研究会での報告である。これまで単なる阿諛追従としか見なされず、十分な研究がなされてこなかった元老院の顕彰行為だが、今後も帝政前期の皇帝・元老院関係を再考するうえで、貴重な材料を提供してくれるだろう。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
本年度行った元老院裁判の分析は、本研究が「元老院は皇帝に従属的な関係にあった」という通説を検証すべく、昨年度行った元老院議決の調査を補完するものである。 これまで元老院は皇帝に対して、漠然と「従属」的な関係にあるとされてきたが、昨年度の調査では次の二点から、そのような通説は見直されるべきだとした:1)元老院は皇帝の議決案に対し、必要に応じて反対意見を述べることができた。つまり、皇帝と元老院の間には、ドイツの哲学者J.ハーバーマスが述べたような「討議」が、限定的ながら確認できた。2)元老院が皇帝の議決案に反対しない場合でも、それは直ちに元老院の「従属」を意味するのではないと分かった。むしろ皇帝の施策は、皇帝や元老院を頂点とする身分秩序の形成を目指したものであり、皇帝と元老院の利害は基本的には一致している。皇帝と協働することは、元老院が望む形での社会秩序を維持することに資するのである。 以上から、元老院は皇帝を恐れ、彼に隷属的に従っていたのではない。むしろ元老院は、皇帝の作り出す社会秩序を「これ以上ない最高のもの」として受け入れ、そのような社会秩序を維持すべく、帝政理念の重要な支持基盤となっていたのである。 本年度の調査は、そうした社会秩序の維持という観点から、元老院裁判を分析した。元老院による裁判には、もともと共和政期から、ローマ国家への反逆者を「国家の敵」と宣言し、反逆者に対して国家一丸となって立ち向かうという側面があった。帝政初期の裁判も、そうした性格を受け継いでおり、皇帝の命や名誉を損なう者は「国家の敵」として、尊厳毀損罪裁判で厳しく罰せられる。このように、皇帝に阿諛追従して確固たる政治方針を持たないと言われてきた元老院だが、社会秩序の維持という観点から見ると、元老院の方針は議決制定でも裁判でも、一貫した姿勢を維持していることが分かった。
|
Strategy for Future Research Activity |
来年度は、本年度の分析を補完し、さらに発展させることを目指す。 帝政初期の裁判は、皇帝の出現によって厳罰化が進んだと言われる。とくに皇帝の命や名誉を損なう者は、近現代人からすると公正・公平とは言えない尊厳毀損罪裁判によって、高い確率で死刑となった。こうして帝政期の裁判は、モンテスキューやディドロなど、とりわけ啓蒙主義の時代から歴史学者のみならず、幅広い識者たちの批判も浴びるようになった。このような批判がベッカーリアたちに受け継がれ、近代刑法学の発展を促したのは確かだが、帝政初期の「従属」する元老院像を過度に世に広めたのもまた事実である。 本研究は、未だ根強く残る尊厳毀損罪と元老院の「従属」観とのつながりを、再考することを目指す。そのために、帝政初期の尊厳毀損罪が持つ意義を、今一度問い直してみる必要があるだろう。すでに本研究は、元老院が既存の社会秩序と、そして社会秩序の守護者たる皇帝を守ることを目指していたことを明らかにした。 本年度は、そのような分析結果を別の角度から確かめるべく、「安寧」Salusの概念を分析する。皇帝が持つ、国家の「安寧」を守る能力は、「元首の安寧」Salus Augustaという語で表現された。こうした「元首の安寧」の概念は、おそらく帝政成立時には確立されており、その原型はすでに共和政期にも見られる。このような「元首の安寧」と元老院との関係を見ることは、国家の「安寧」が元老院にとってどれほど重要であったかを、明らかにすることになるだろう。
|