2018 Fiscal Year Annual Research Report
親鸞における「信」の構造の研究―『教行信証』における諸仏の伝法に注目して―
Project/Area Number |
18J21604
|
Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
大胡 高輝 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
|
Project Period (FY) |
2018-04-25 – 2021-03-31
|
Keywords | 親鸞 / 教行信証 / 真仏土巻 / 光明 / 信 / 言葉 / 倫理学 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、日本中世の仏教思想家・親鸞の主著『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』と略記)に見られる形而上学的思考を手がかりとして、個別的・経験的な存在である衆生が超越的な存在である阿弥陀仏と関係を結ぶことを可能にする「信」という契機の内実を検討するものである。本年度は、具体的な研究成果として、論文「「名づく」と「光」──『教行信証』真仏土巻の文体をめぐって」(『倫理学紀要』第26輯、東京大学大学院人文社会系研究科、2019年、1-24頁)を発表した。 同論文では、「信」の成立を可能にする阿弥陀仏の名号(「南無阿弥陀仏」)が親鸞の形而上学的思索においてどのような位置を与えられているのかを明らかにすることを目指し、親鸞の思索において絶対的な基底として位置づけられている阿弥陀仏の働きが、『教行信証』真仏土巻において特に「光明」の働きとして捉えられていること、またその「光明」の働きが仏の言葉、すなわち仏語と結びついていることに注目し、真仏土巻の記述に即して「光明」と言葉との関係を検討した。同論文では具体的に、(1)阿弥陀仏の名号を除く仏語は、特定の衆生・個別的状況に対応するいわば交換不可能な言葉であること(2)絶対者は(1)の言葉が相互に結びつき一つの総体となったとき十全に表現されること(3)その総体を言い取り得る特権的な言葉が名号であり、名号はあらゆる衆生に同じように働きかけるいわば交換可能な言葉であること(4)以上の親鸞の議論が真仏土巻を構成している経典・論釈の引文が持つ文体を拠り所としており、〈仏智にもとづく超越的な領域を持つ仏語をあくまで有限者である衆生が受容することがいかにして可能なのか〉という原理的な問題をめぐって、親鸞が仏語の超越的な領域を文体という次元において捉えようとしていたこと──といった点を検討・確認した。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度の研究成果は、「信」を成立させる具体的な契機である阿弥陀仏の名号が、涅槃・仏性・如来といった絶対者をめぐる親鸞の形而上学的思考においてどのような位置を与えられているのかを確かめようとするものであった。親鸞の形而上学的思考を手がかりとして親鸞における「信」の内実を明らかにすることを目指す本研究の全体の構想においては、親鸞の形而上学的思考と「信」とが接している領域の内実を確かめることが必要かつ重要であるが、本年度はその領域にあたる名号の位置づけを検討することができた。とはいえ、本年度は親鸞の形而上学的思考と名号との関係を検討するにとどまり、名号が持っている構造自体を取り扱うことができなかった点で、まだ十全なものとはなっていない。
|
Strategy for Future Research Activity |
今後は、親鸞の形而上学的思考における言葉の位置づけを確認する段階からさらに進んで、親鸞が構想する言葉の内部構造そのものを検討することがまず必要になるだろう。その際、(1)光明論と並んで真仏土巻の主題の一つとなっている報身論や、証巻の法性法身・方便法身をめぐる議論、また信巻で展開されている、阿弥陀仏の信心の内実に関わる三信論などを中心として、名号がなぜ絶対者の十全な表現たり得ているのかという原理的な問題を扱う必要があるだろう。また、(2)行巻で展開される名号論、特に親鸞が名号に細密な註釈を加えている六字釈を中心として、(1)で検討する原理的なレベルでの名号の内部構造が、名号の具体的表現にどのように反映されているのかを確かめる必要があるだろう。
|
Research Products
(1 results)