2018 Fiscal Year Annual Research Report
韓国ナショナリズムと対日ノスタルジア研究:「嫌悪」と「親密」の相互依存関係性から
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18J22748
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
趙 相宇 京都大学, 教育学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2018-04-25 – 2021-03-31
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Keywords | 「自主性」 / 対日感情 / 植民地記憶 / 3・1節 / 8・15光復節 |
Outline of Annual Research Achievements |
2018年度は、韓国社会における植民地記憶の形成及び展開について考察を行った。その成果は①同年度の日本マス・コミュニケーション学会春季大会にて「「過去」と「未来」の交錯過程における対日情緒の「現在」形成―大韓民国における3・1節と8・15光復節のイベント分析から」というタイトルで発表を行った。この発表をもとに、②「3・1節の周年報道における対日感情の検討―1970年代の韓国社会を中心に」(『京都大学大学院教育学研究科紀要』第65号)を執筆した。なお、③主要な研究対象である3・1節と8・15光復節に関する日韓両国の先行研究をまとめた研究ノート「三・一と八・一五光復研究の現状と課題―植民地記憶の形成及び展開への理解に向けて」を『京都メディア史研究年報』第5号に掲載した。 これらの研究成果から「反日」とも「親日」とも言えない対日感情を理解する上で「自主性」という概念が特に重要であることが分かった。韓国社会は、植民地解放後の政治・経済的な不安の中で戦後復興を遂げた日本との協力を必要としていた。そのため、日本との友好的な関係構築が重要な課題となったのだが、一方では、再び近づく日本という存在をどう理解するかをめぐって議論が巻き起こり、その中で植民地時代の過去に基づいた「反日」感情が刺激されてもいた。一見相反する日本への友好ムードと反日ムードは対立関係にあったというよりは、韓国としての「自主性」をどう確保するかという議論の中に位置づけられた。つまり、独立国家としての体制維持のための友好的な日韓関係の構築、その中で民族としての「自主性」を失わないための植民地時代の過去の強調が複雑に入り混じって共存していたのである。この成果は、「反日」か「親日」かでは理解できない韓国社会における対日感情を「自主性」という新たなフレームを提示することで理解可能なものにする点で意義が大きかったと言える。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究の目的は、「反日」とも「親日」とも言えない韓国社会における対日感情とは何かをその歴史的な展開から明らかにすることである。昨今の日韓関係において問題視される韓国社会の対日感情を理解するためには、その感情を支える植民地記憶の形成と展開に関する理解が不可欠となってくる。そこで、本研究では①植民地記憶を想起する上で中心的な役割を果たす3・1節と8・15光復節の歴史、②それらの記念日を通して集合的認識を形成するマス・メディアの役割、③植民地記憶を観光資源として活用する近代遺産の観光地の3点に着目し研究を推進してきた。 ①については新聞における3・1節と8・15光復節の周年報道を主な分析対象とし、「研究実績の概要」でも述べたように、対日感情を理解する上で「自主性」というフレームが重要であることが明らかになった。②についても1981年に創刊した『TVガイド』を中心に分析を行い、テレビ文化が3・1節と8・15光復節に与えた影響について検討している。現状では論文のレベルに達していないが、『TVガイド』では3・1節の特集はほぼなく、8・15光復節の特集はほぼ毎年組まれていたことが分かってきている。テレビ文化に移行する過程で植民地記憶が主に8・15光復節を中心に展開していくことを意味すると思われるが、こうした現象の対日ナショナリズムにとっての意味や、テレビ文化との相関についてさらなる検討が必要である。③は植民地記憶を観光資源とする韓国国内の近代遺産の観光地を対象に参与観察を数回行った。まだ整理中であるが、植民地時代の「近代性」には①日本による強制・弾圧的な近代化、②西欧諸国の宣教師による自愛的な近代化、③朝鮮民族による自主的な近代化という3つのレイヤーが存在することが明らかになった。「非自主性」を象徴する植民地的近代がいかに「自主的」な近代史観に取り込まれていくのか、引き続き検討を要する。
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Strategy for Future Research Activity |
これまでの研究で得られた成果を①1980年代以降の3・1節と8・15光復節をめぐるマス・メディア状況と表象、②近代遺産の観光地における「自主的な近代」の物語、③8・29国恥日の想起と忘却という観点からさらに深めて行きたい。まず①については、主要新聞における1980年代以降の3・1節と8・15光復節の周年報道を追いつつ、急速に普及したテレビが3・1節よりも8・15光復節を焦点化する過程とその意味を解明する。3・1節は民族のアイデンティティを象徴するもの、8・15光復節は国家としてのアイデンティティを象徴するものであり、8・15光復節への焦点化は植民地記憶を国家のアイデンティティとして定着させていく1980年代以降の韓国社会の動きと緊密に連動しているものと思われる。次に植民地記憶が国家のアイデンティティとして現代の韓国にいかに定着し、消費されているのかを問う必要があるが、②がその作業に当たる。「現在までの進捗状況」でも述べたように、近代遺産をめぐって侵略者としての日本、先導者としての宣教師、自主的な啓蒙家としての朝鮮人など様々な主体が入り組んでおり、「自主性」に着目するのなら、これらをいかに「自国史」として組み込むかも綿密に検討する必要がある。また、③当初の計画には含まれていないが、「自主性」がキーワードになってきているため、国を失ったことを記念する8・29国恥日についても検討が必要と判断した。8・29は、1910年8月29日に日韓併合により国を失ったことを記念する日であり、ある意味「非自主性」を象徴するものである。独立国家となった韓国が過去の「非自主性」を記憶したり、あるいは忘却したりすることはどういう意味があったのだろうか。こうした問いに答えることは、韓国社会における対日感情と「自主性」との関連を論じる上で欠かせない論点である。
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