2019 Fiscal Year Research-status Report
十九世紀末の西洋廉価版小説が明治・大正の文学作品に与えた影響
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18K00329
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Research Institution | Tokai University |
Principal Investigator |
堀 啓子 東海大学, 文化社会学部, 教授 (60408052)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 尾崎紅葉 / 黒岩涙香 / 翻訳 / 翻案 / 廉価版 / cheap editions / dime novels |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は、十九世紀末に出版された英語の廉価版小説から、個々の作品のみならず全体として日本文学が影響を受けた背景について調査した。論の中心として分析したのは二つの点である。ひとつは、たとえば黒岩涙香はユゴーの『レ・ミゼラブル』やデュマの『モンテ・クリスト伯』を、廉価版原著をもとに訳しているが、これらの作品は元来フランス語で発表された小説である。涙香は英語には堪能であったがフランス語には精通していなかった。そのため、涙香がこうした英語の廉価版小説をもとに和訳していたものは、重訳ということになる。 じつは膨大な数にのぼる廉価版の大半は、いわゆる無名の作品であった。だが中には英語作品に限らず、欧米の高名な文豪の名高い名作も収録されている。そしてそうした名作に関しては、同じ作品が他の文学全集などで出版されている場合に比べると格段に安価に入手できた。すなわち当時、廉価に惹かれてこうした版を渉猟していた同時代文士は図らずも、適切に〈取捨選択〉された名作の原書群を母体に翻訳・翻案を手がけ、結果的に自動的に厳選された優れた作品を日本に容れていた点も評価されうると判明した。 そしてもうひとつは、涙香が訳した『巌窟王』の原作『モンテ・クリスト伯』のような長編作品の場合、英語版の廉価版小説をフランス語の原書と対照すると、明らかに英文自体の誤訳も散見される。その誤訳には、作品中の年や日付が異なっているような単純なものも含まれている。涙香はそれらの誤訳本をもとにして訳したことになる。もとより涙香は逐語訳を手がけなかったが、不思議なことに涙香訳には英語版とも大元のフランス語版とも異なる記述も見受けられ、涙香自身、そうとう曖昧な解釈のまま訳していたと思われる箇所があることを確認し得た。涙香に限らずこうした事例が、当時の翻案にいくつか見うけられたことを確認し、当時の翻案に対する意識と手法を確認し得た。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
先の概要でも言及した論を中心にして、今年度は本研究をまとめた単著『日本近代文学入門』(中央公論新社、二〇一九年八月)を上梓した。そして同著のなかで翻訳や翻案も含め、十九世紀末の廉価版洋書から影響を受けて成立した、黒岩涙香および尾崎紅葉を初めとする日本の翻訳や翻案を整理し、それぞれの成立背景に鑑みた上で、それらの作品がその後の作家や文壇に如何なる影響を与えていったのかを、時系列でまとめた。その過程において、翻訳・翻案のみならず、廉価版洋書を中心とする外国文学というものが、どのように受容され、同時代の読者に受けいれられる作品へと変容するのか、モチーフにも目配りすることができた。 また、研究計画にも記していたように、こうした廉価版小説の多くは英語で著されたものだが、なかでも日本にもたらされた嚆矢と思われるBertha M. Clayの代表作で、末松謙澄や武藤山治、ヨネ・ノグチなど、文学界に限らず同時代知識人らに広く影響を与えたとされる長編小説 Dora Thorne の翻訳の続きを分載して発表した。 そしてこれらの翻訳・翻案を分析する過程において、それらの作品が原著としてcheap editionsを用いたことが明らかに判明している一連の作品において、その翻訳がどのレベルまで原著を参照したのかを段階的に整理し得たことを以て、最終年度の本研究の方向性を整理することができた。以上の点を以て、今年度の研究はおおむね順調に進展していると自己分析した。
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Strategy for Future Research Activity |
この二年間の調査を踏まえて、最終年度には、日本近代文学の中核を担った文士たちが廉価版洋書をそれぞれの手法で自家薬籠中の物とし、取得し得た〈文芸創製〉の技術を明らかにする。そしてさらに自らその上に発展させ、構築した文体や構想などを整理する。 その過程で、こうした十九世紀末に無数に出版された廉価版洋書小説から影響を受けて成立した作品のなかでも、翻訳あるいは翻案に限らず、原案に日本独自の文化観、価値観が塗り重ねることで、新たな文学世界を現出させた作品があることを明らかにしたい。その際に、そうした作品世界を受けとめた同時代の日本人読者の姿勢をも浮き彫りにする予定である。 こうした研究の到達点を目し、同時代に廉価版洋書を渉猟していた文士たちが、自ら新しい技法や作品世界を獲得し、日本の文壇に発信していった作品群が、後代の文士たちにいかにして新しい創作手法を提示し、新たな文壇の潮流をつくりあげていったのか。 上記の過程を以て、十九世紀末の無名の廉価版洋書小説が、明治・大正の日本の文学に与えた影響と意味を再考する。
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Causes of Carryover |
年度末に複数の出張を予定しておりましたが、コロナウィルスの感染拡大の影響によって、出張先の図書館の閉館されるなどの事態が生じました。こうした状況の変化に伴い、それらの出張を次年度に延期することといたしました。またその関連で、出張のために要していた機材や、その準備段階として必要となった資料の入手も次年度に持ち越しとなったことで予定が変更になりました。
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Research Products
(5 results)