2018 Fiscal Year Research-status Report
1950-70年代における文化資源としての「文学」に関する研究
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18K00330
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Research Institution | Nihon University |
Principal Investigator |
山岸 郁子 日本大学, 経済学部, 教授 (90256785)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
十重田 裕一 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (40237053)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 文学館 / 文化資源 / 日本近代文学 / 近代文学研究 |
Outline of Annual Research Achievements |
文化を「資源」として捉えるということは、それが現代に「価値」があるという前提が必要となる。また資源とは経済と文化を結びつけることでもある。ある時代の社会と文化を知るための資料、それは有形無形に関わらず現代利活用可能なものとして「価値」あるものとしてよいだろう。本研究では文化資源として日本近代文学を考えるために「文学館」に焦点をあて調査を行なっている。「資源」化することにおいて作家や作品それ自体のみばかりでなく、社会的な背景、環境を含めて統合的に考えられ、制度設計がなされているからである。文学館はそれぞれが極めて自覚的に枠組みを構築している。しかし近年市場的な「価値」が必要とされてきた。2003年に制定・公布された「指定管理者制度」を一つの契機として、多くの文学館は財政を意識せざるをえない。この制度を選択していない文学館もまた、効率的運用やシステムの合理化が期待されるのである。 文学は戦後も文化の中心にあって1960年代から70年代にかけて最盛期を迎えたが、80年代以降、文化としても産業としても衰退の一途をたどり今日に至っている。とくに「純文学」と呼ばれてきた既成の文壇文学の落ち込みがひどく、各種のエンターテインメント文学や漫画やアニメなどのサブカルチャーによりある程度の代替がなされたが追いつくことはない。それを反映するかのように、戦後急増した大学や出版社の文学研究・教育部門を縮小、統合、廃止する動きが今日まで続いている。文学や文学研究は、かつて有していた文化や教育における特権的地位を失い、危機に直面しているといってよい。このように市場的に困難な時代を迎えている文化資源を利活用可能、循環可能なものとしてどのように捉え直せば良いのか、まずは各文学館の実態を知るために財政運営と企画の関連性について調査を行ない、作家の持つ強度を客観的に把握し、その可能性を具体的・個別的に探った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
2018年度には日本における文学館の財政基盤について調査を行なった。特に指定管理者制度により、どのような運営がなされているのか地方都市の文学館を中心に公開されている財務資料と企画、来場者数の関係について調べた。作家と〈地域〉(ローカルとしての東京も含む)との関係を検証することによって、言論と表現の新たな諸相について明らかにするためである。 2018年度の特徴は文学館が「文豪」ゲームやアニメとのコラボレーション企画により、来場者を増加させたことである。登場する「文豪」キャラクターが伝記的事実に基づいた要素と、新たに付与された要素から創造されていることによる。キャラクターに与えられた記号を翻訳し、オリジナルへの関心を広げる余地を残して創作されているのだ。漫画・アニメあるいはゲームから「文豪」に興味をおぼえた人たちは、文学館へ足を運び、展示物を通してキャラクターの新たな一面を見出すといった、従来のオーセンティックな鑑賞法を身につけている人たちとは異なる受容方法をとっている可能性は高い。しかし、その正統とされてきた鑑賞法というものは原稿、メディア、肉声、肖像、生活空間の復元など文学を確かに生きた人間の営為であったことを受容するよう展示によって誘導され身につけたものである。そう考えるとキャラクターから眼差す文学世界というものは、我々が囚われている文芸・文学の鑑賞世界とは異なった世界像を感受する可能性があるといえよう。通時的な多様性や共時的な偏差を把握することに重きをおくといった鑑賞方法である。従来の作家論とは違うかたちで「作家」を捉え直す契機になるのではないだろうか。 キャラクターから作家に興味をおぼえた人びとのみならず文学に必ずしも精通していない来場者に対して、文学あるいは文学館がどのようにキュレーションして興味を持続させるのかが重要であり、継続して方法の可能性を探っていきたい。
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Strategy for Future Research Activity |
2019年度は1950-70年にかけて文学の市場価値、文化資本がどのように確立したのか、政治・経済の基盤をも視野に入れて、地方都市にある10の文学館について横断的に、また作家を絞り込み、個別的に検証する。また文学館ばかりではなく図書館や文化施設(博物館・美術館・歴史資料館)などの文化行政や文化事業について調査を行い、1「文化資源」がどのように発見され、都市部のみならず諸地域にまで利活用させていったのか(いかなかったのか)、その実際について明らかにすることができた。今後はさらに諸地域で推進された産業振興策において観光資源として文学や文学者がどのように発見され貢献したのか、観光地の文学館に対象を絞って文学作品や作家がどのように流通・消費されたのか明らかにするための調査を継続する。方法としては以下の通りである。①その地域の作家について、活字メディア(「全集」・「文芸雑誌」・「単行本」をはじめ「中間雑誌」・「週刊誌」・「婦人雑誌」・「新聞」など)、演劇、写真、映像メディアを調査するとともに、その影響関係について調査・分析する。②文化人化した作家のライフスタイルがそれ以前と比べてどのように変化したのか、本人の言説(回想記、日記、書簡)あるいは周辺(関係者の記録)から情報を収集・分析する。③文学者を格付けた編集者や批評家の役割について明らかにする。④文学館の創立期の問題を調査するとともに、地方における文化資産(文学碑・文学館・文学散歩のコース設定・土産物などの文学関連商品など)の実態について調査する。⑤近代文学が教育やアカデミズムとどう関わるのか、教科書に採録された文学作品・大学 (文学部)の卒業論文(都市部と地方国立大学)の傾向などについて調査する。また海外における日本の近代文学評価についても、その理由について考察する。以上の調査は来年度を見据えながら継続的に行う予定である。
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Causes of Carryover |
2018年度は各文学館から資料を提供してもらい、データベースの作成のための入力を中心に行ったため現地への旅費を抑えることとなった。2019年度はその実際を確認するために旅費の比重を重くし、研究分担者と現地(金沢・富山・福島・青森・秋田・長崎・香川・姫路・広島・岡山)へ赴き調査を行う予定である。文学館の研究員と連携をとりながらその地域でしか見られない、文学館設立の趣意書、広報誌、財政資料などを中心に調査を行う。 さらには本学研究成果をベースとした文化資源の活用の仕方を提案し、文学研究のみならず観光案内・生涯教育・学校教育における調べ学習など広く利用価値のあるデータベース構築のための準備を画像資料・音声資料としてストックし、軽量PC(用品費)を用いて情報収集・管理を進める予定である。
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