2021 Fiscal Year Research-status Report
出雲系神話の成立と変容―ヤマタノヲロチ神話を中心に―
Project/Area Number |
18K00934
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Research Institution | Shukutoku University |
Principal Investigator |
森田 喜久男 淑徳大学, 人文学部, 教授 (10742132)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 日本書紀 / 新羅 / 石見八重葎 / 大田市 / 五十猛 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は、『日本書紀』神代第八段一書第四に見えるヤマタノヲロチ退治神話の検討を行った。この神話には、スサノヲが子のイタケルと共に天から新羅国に降り、そこから船で出雲に向かいヲロチを退治するというストーリーが記されているが、出雲に隣接する島根県の石見地方には、スサノヲやイタケルが上陸したと伝えられている場所がある。 まず、近世石見の地誌である『石見八重葎』に記されているスサノヲ神話の検討を行った。その結果、同書の神話に関わる記述は、『日本書紀』や『先代旧事本紀』、『出雲国風土記』の引用による造作が見られるものの、断片的に石見独自の伝承を伝えている箇所もあることが判明した。 次に、上記の検討をもとにして島根県大田市の日本海沿岸を踏査した。まず、スサノヲが朝鮮半島から渡来したとされる場所として大田市仁摩町宅野港から韓島を遠望し、今も信仰の対象地であることを確認できた。次に五十猛漁港に行き、高麗の浜・韓郷山・韓神新羅神社を見た。さらにスサノヲの子であるイタケルとオオヤヒメに関係する逢浜・五十猛神社・国分霹靂神社・唐松・大屋姫神社を踏査した。現地調査の結果、港や河川などの海上交通の要衝地や、水陸の結節点などがスサノヲに関わる伝承が集中していることが判明した。これらの伝承地において、どの段階からスサノヲ神話が受容されたのか、この点についてさらに検討を重ねる必要があるが、『日本書紀』一書の神話伝承地の景観の特徴を知覚し画像の形で収集することができた。 今年度も前年度に引き続き、『日本書紀』神代巻の古写本の写真版を購入した。これをもってヤマタノヲロチ退治神話に関わる主要な『日本書紀』の写本の画像データは、ほぼ収集し終えたことになる、写本間の文字の異同や個々の写本に付された書き入れを検討できるようになったので、現在、ヤマタノヲロチ退治神話について写本間の比較検討作業を進めている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本研究の課題は、大きく2つの課題からなる。 第一にヤマタノヲロチ退治神話成立の歴史的背景を明らかにすること、第二にヤマタノヲロチ退治神話の地域社会における受容と変容の過程を明らかにすることである。 このうち、第一の課題については、研究協力者岡宏三氏(島根県立古代出雲歴史博物館)のご教示を得て、出雲地方の近世の地誌や中世の説話文学などからヤマタノヲロチ退治神話の変容を示す文献史料を抽出し分析を加え、ヤマタノヲロチ退治神話の地域社会における受容に際しては『古事記』や『日本書紀』ではなく『先代旧事本紀』が重要な役割を果たしたことを明らかにできた。 しかし、第二の課題については解明すべき問題を残している。研究協力者品川知彦氏の研究により、ヤマタノヲロチ退治神話をたたら製鉄集団と結びつける説は、大正時代に、斐伊川のかんな流しとヤマタノヲロチ退治を結びつけて増幅させたイメージなのであり、近世以前に遡らないことが明らかになったが、それに代わる新たな見解を構築できない状況が続いている。その最大の原因は考古学的検討が困難であることによる。 この点について研究協力者仁木聡氏と研究協議を実施する必要があったが、コロナ禍のため島根県埋蔵文化財調査センターでの対面の協議を実施できなかった。現状は仁木氏との研究協議は、Zoomやメールを利用したオンラインの協議にとどまっている。ただ、この協議を通して、遅延している考古学的アプローチの打開の道筋が見えてきたので、最終年度となったが迅速かつ効率的に仁木氏との共同研究を進めていきたい。
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Strategy for Future Research Activity |
まず、遅延している考古学的検討を実施する。仁木氏とのオンラインによる共同研究の結果、ヤマタノヲロチ退治神話は弥生時代の出雲西部の四隅突出型墳丘墓を築いた政治勢力による建国神話(出自と勢力圏の語り)ではないかとの仮説を得るに至った。仁木氏によれば、考古資料の状況証拠からして論理的には矛盾はない。文献史料に記されたヲロチ退治の舞台は島根県の斐伊川水系と江の川水系、そして北陸地方であるが、これらの地域に共通して分布する考古資料は、四隅突出形墳丘墓しかないからである。ヤマタノヲロチ退治神話の原型は、弥生時代の出雲西部が北陸や朝鮮半島といかにスケールの大きな遠隔地交流をしていたのかをアピールするものであった可能性が出てきた。 そこで今年度の現地調査は、島根県の出雲西部から石見東部にかけて、斐伊川や江の川水系、古代山陰道、近世往還、港津など交通の要衝に分布する四隅突出型墳丘墓や古墳の踏査を中心とし、ヲロチ退治神話との関係について検討していく。そのことにより、ヤマタノヲロチ退治神話成立の歴史的背景を明らかにする。 その上で、今年度は研究成果をまとめ情報発信を行う。まず、研究成果として報告書を刊行するが、その報告書については、研究代表者である森田と研究協力者である仁木聡氏と岡宏三氏、品川知彦氏のそれぞれの研究成果を論文の形で掲載する。森田と仁木氏はヲロチ退治神話成立の歴史的背景を、岡氏と品川氏はヲロチ退治神話変容の過程に関する論文である。この他、森田の方で集成してきたヤマタノヲロチ退治神話関連の文献史料集も掲載する予定である。 さらに本研究が公的資金にもとづいて実施されていること、島根県をフィールドとしていることに鑑み、研究成果を報告書にまとめる作業と平行して島根県立古代出雲歴史博物館で森田と研究協力者による研究発表会も実施する。コロナ禍で開催が困難な場合は、オンラインで対応する。
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