2018 Fiscal Year Research-status Report
A Study on Sport and Recovery from the Great Kanto Earthquake of 1923
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18K17789
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
大林 太朗 筑波大学, 体育系, 助教 (60810017)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 大日本体育協会 / 帝都復興事業 / 東京市 / 後藤新平 / 永田秀次郎 / 嘉納治五郎 / 岸清一 / 平沼亮三 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、関東大震災(1923年)からの復興に向けたスポーツ界の対応を明らかにすることである。首都圏の大半が焼失し、10万人超の犠牲者を出した未曽有の大災害を前に、大正・昭和初期のスポーツ界の中心にいた人々は、何を考え、どのような行動を起こしたのか。2018年度は、とくに震災直後の大日本体育協会の対応と同協会が帝都復興院および東京市に宛てた「願書」について分析を行った。以下に、その概要を示す。 1)震災後、大日本体育協会は名誉会長:嘉納治五郎を座長として理事会を開き、協会自体の対応策を検討するとともに、当局に対する「建議」を行った。その内容は、復興の基礎となる市民の体力と精神力の涵養を目的として、被災地における新たなスポーツ公園の設置を求めるものであった。 2)当局はその「建議」を受理し、帝都復興事業を通して新設された復興三大公園(錦糸公園、浜町公園、隅田公園)には競技場、庭球場、水泳場などが設置された。中でも水泳場には夜間利用のための照明装置の整備、女性専用の時間帯の設定などの工夫が見られた。 3)三大公園のうちとくに隅田公園では、一般市民が参加する様々なスポーツ関連イベントが実施された。例えば、区役所職員の運動会やラジオ体操の全国中継放送、歌舞伎役者による「俳優野球リーグ戦」などに、浅草界隈に生きる様々な層の人々が熱中した。その結果、同公園は市の記念誌において「下町のオリンピア」と称されるようになった。 以上の通り、震災後の大日本体育協会が行った「建議」が一つの背景となって、現在にも受け継がれる先駆的なスポーツ公園が誕生したことが明らかとなった。多様な層の市民がスポーツに参加する機会を創出した各公園は、戦前の日本におけるスポーツの発展を支えるものであったと考えられる。今後はこの成果をもとに、各競技団体や各大学の対応をふまえ、スポーツ界の震災対応の全体像に迫っていきたい。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究の一年目(2018年度)の当初の計画は「歴史資料の収集・分析」と学術論文の執筆であった。結果として、東京都内の各図書館、資料室等で史料を収集するとともに、国内外の学会等における成果報告と論文の投稿(査読中)に至っている。一方で、大日本体育協会以外の関係団体に関する史料収集は、今後さらに重点的に行っていく必要がある。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、関東大震災を契機とした東京市の「市民体育」行政の変容に関する公文書や、「運動界」(運動界社)等の雑誌、また各大学の附属図書館等で「部誌」等を収集し、大日本体育協会以外のスポーツ界における関東大震災からの復興に向けた対応、復興支援活動などについて調査を行い、その全体像に迫っていく。 そして、国内外の関連学会等においてその成果を発表し、当該分野の研究者と意見交換を行いながら、最終年度に向けて研究デザインを洗練させる。
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Research Products
(2 results)