2007 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
19500865
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Research Institution | Kibi International University |
Principal Investigator |
臼井 洋輔 Kibi International University, 文化財学部, 教授 (40368709)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
馬場 俊介 岡山大学, 環境研究科, 教授 (10111832)
三好 教夫 岡山理科大学, 理学部, 教授 (90068891)
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Keywords | 石切り技法 / 矢穴技法 / 花粉分析 / 炭素14測定 / 日本への伝来 |
Research Abstract |
一般的に、わが国では中世末から近世初頭に政治と社会状況の大きな変化に合わせて、城郭は山城から平城に移行する。この時期と、石切り技法において大型の矢穴技法(もちろん日本の発明ではなく大型矢穴技法のルーツは古代エジプトにある)が開始される時期とがほぼ重なる。こうして私は中世の新石切り技法に関して未解明の2つの問題にアプローチしている。 1つは、その新しい技法が何処の国から日本に入ってきたかはまだ分かっていないことへの探求である。2つ目はそれ以前に、中世初頭に矢穴技法(極小さな矢穴)が岡山県内で存在していることを発見している。それについては確かな時代判定を花粉分析等の科学的調査によって行いたいと考えている。前者は今年度も続き、後者は20年度から実施する計画である。 古来大抵の日本の文化は中国大陸からもたらされているとされている。ひとまずそれを無視することは出来ないので、19年度は中国大陸の矢穴技法を15日間掛けて調査した。建設年代の分かる橋梁、運河、港湾、寺院城郭、そして採石場を中心に行った。北京の盧溝橋、北運河、天津の寺院や東清陵、徐州の約2000年前の採石場、広州とその古港、マカオの全寺院と城塞、廈門の石材、泉州の洛陽橋、蘇州宝帯橋、朱家角と大運河等々を調査した。毎日が発見の連続であった。 結果、中国には日本のような大型矢穴による石切り技法は現時点では全く目撃することは出来なかった。また国内的には元寇の碇石の大半を見て回った。矢穴は全て小さいものであった。また日本で、これまで云われているような、大きい石材は大きい矢穴で切り、小さい石材は小さい矢穴で切るというのも、中国で見る限り全く当てはまらないということも分かった。中国ではどのような長尺ものでも小さい矢穴であった。ここに、日本へのルートは別にあることがいよいよ濃厚になってきた。20年度は温めている1つの仮説に基づいた調査をする。それは信長、秀吉、家康主役の中世末、近世初頭の日本への影響力は「宣教師」を無視することは出来ないのではないか、というものである。
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