2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
19520091
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
八木 春生 University of Tsukuba, 大学院・人間総合科学研究科, 准教授 (90261792)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
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Keywords | 階時代初期仏教美術 / 西安仏教造像 / 敦煌莫高窟 / 統一仏教美術様式 / 麦積山石窟 |
Research Abstract |
589年に階が中国を再び統一したことが、仏教造像にいかなる変化をもたらしたかは、中国仏教美術史上重要な問題である。政治的に分裂状態が解消されたとはいえ、それがすぐに新たな仏教造像様式、形式の出現と結びついたとは考えにくい。また北周末に武帝により廃仏(574〜579年)が断行されたことから、その期間仏教造像活動が完全に停止したであろうことも、統一様式、形式形成の障害となったに違いない。しかしよく知られているように、文帝は仁寿年間(601〜604年)、3回に分けて全国の合計111ヶ所に舎利塔を起塔した。それらは中央から送られた同じ設計図(造様)によっており、したがってこの画一的な舎利塔の全国規模の建立が、仏教美術に統一感をもたらすひとつの契機に成り得たと考えられる。また605年に煬帝によって建設された大運河が、中国全土を均一化する役割を担ったとして間違いない。問題は、階開国から仁寿年間以前の時期(開皇年間、581〜600年)にも、仏教造像様式、形式上、何らかの変化が認められるか否かである。そこで本年度は、首都西安付近から出土したこの時期の石造菩薩立像および、それ以外の地域として、南北朝時代ひと際強い独自性を持った敦煌莫高窟の階窟造像を取り上げた。結果として、西安付近から出土した階前期石造菩薩立像を特徴づける様式、形式の多くは、北周時代末期にすでにその萌芽が認められたが、大型像は立体性や写実性を重視し観者である人々との問に接点を多く持つ像として彫り出された点で、北周時代とは一線を画していたことが明らかとなった。また敦煌莫高窟では、階初期の第1期諸窟(581〜589)の塑像は、北周窟の造像と強い繋がりを持つが、第2期(589〜613)において西安晴仏教造像の影響が強く現れ始め、中国全土に統一様式、形式とは未だ呼びえないものの、それに近いものが形成され始めつつあったことが理解された。なお、西安に近い麦積山石窟における階時代の状況を考察するため石窟全体の編年もおこなった。
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Research Products
(3 results)