2008 Fiscal Year Annual Research Report
シェイクスピアの近代における受容に関する表象文化論的考察
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19520198
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
高田 康成 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 教授 (10116056)
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Keywords | 循環 / 自然 / 近代 / 政体 / 共和政 / ローマ史 / 歴史 / 啓示 |
Research Abstract |
今年度は、「自然・循環」、「差異・外部」といった主題軸に沿って研究を進めた。シエイクスピアの作品世界を「自然・循環」のテーマで見渡すとき、それに対抗する直線的な時聞の形態として、2種類の「歴史」が問題として姿を現わす。旧約・新約に基礎を持つ「救済史」と、異教的な「ローマ史」がそれであり、前者には所謂「英国歴史劇」が連なり、後者は所謂「ローマ劇」に反映される。両者は『シンペリン』において殆ど交差する。「自然・循環」という主題が政体的な次元で展開された場合、それを典型的に体現するのは、『コリオレナス』中の腹中心的「政体論」である。この寓意は、ローマの共和政という専制君主=頭を排除した独特の政体論となっており、頭の代わりに政体全体を統括するのは「腹=元老院」とされる。生物にベーシックな栄養源を作り出す器官を中心的統括者とすることにより、政体=ボディ・ポリティックの問題を「自然・循環」の問題に還元してしてしまおうとする。が、「救済史」はもとより「ローマ史」といえども、「自然・循環」の問題に還元されない。コリオレイナスは、「自然・循環」からなる「腹的政体論」を理念なき思想と軽蔑し、それを捨て去るが、その精神的な希求は、たしかに肉体(政体)という基盤を無視する不遜な行為ではあるが、同時に「ローマ史」をかたちつくる共和政理念の根本にある「浄化」の理想を体現することもまた確かである。「ローマ史」は「自然・循環」を超越する或る理念・志向性の存在に支えられている。しかし、この「自然・循環」の外に立つ志向性は、「救済史」を支える「啓示」ではない。『シンペリン』では、この「自然・循環」を超える志向性は、ジュピターの降臨という形で現れるが、これも救済史的「啓示」ではない。(2)「近代」の言説に関する考察では、「近代の超克」にまつわる諸問題を比較近代論的に考察した。総じて、我が国の「近代化=西洋化」の言説では、「自然・純粋的日本VS外来・不純的西洋」という二項対立的意味作用が効果を発揮することが多く、「和魂洋才」といえでもこれを根本的に越えるものではなかった。これを表象作用の構造分析するならば、「循環」と言うことができ、特に「他者」という、二項を越える絶対的視点を本質的に備える表象構造と対比するとき、その相対的「循環」構造は顕著である。けだし西洋近代は、根本的に「他者」的表象構造から成る。(3)クスピアの異文化受容の周題に関しては、現地に赴き、エジプトにおけるその概要を得た。
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