2007 Fiscal Year Annual Research Report
1940年代・50年代におけるフランス知識人の「全体主義」思想への係わり
Project/Area Number |
19520278
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Research Institution | Kansai University |
Principal Investigator |
川神 傅弘 Kansai University, 文学部, 教授 (00131417)
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Keywords | サルトル / アレクサンドル・コジェーヴ / メルロ=ポンティ / カミュ / 全体主義 / マニ教的善悪二元論 / 進歩的暴力理論 / anti-communisme |
Research Abstract |
1950年以降スターリン治下のソ連におけるterreur:恐怖政治の実態や強制収容所の悲惨な現状が陸続と報告されるようになり、密告・追放・拷問・暴力・虐殺等の実態体が明るみに出され、キリスト教の《千年王国説》の理想である《均質的で普遍的な国家》つまり「階級なき社会」実現の夢をソ連にたくしていた数多の知識人を幻滅させた。ナチス・ドイツと180度異なる理想社会と思われていたソ連内部で、ナチスと酷似した政策が行なわれていたという報告によって、communismeに加担するフランス知識人のなかからanti-communisme :反共産主義に傾く人々が出始めた。しかしながら、過激マルクス主義的ヘーゲル論者アレクサンドル・コジェーヴの弟子であるサルトルは「一国社会主義のスターリニズムは社会主義の逸脱でなく、強制された《迂回》である」としてソ連擁護の姿勢を崩すことはなかった。同時期メルロ=ポンティが『ヒューマニズムと恐怖政治』によって"進歩的暴力理論"を展開して革命のための暴力を容認する。「階級なき社会」というバラ色の未来を標榜するサルトルは常に"弱者(プロレタリアート)救済の立場からcommunismeとソ連を擁護し続けた。最終的に1962年ソルジェニーツインが『イヴァン・デニーソヴィチの一日』を著した後サルトルもソ連強制収容所の存在を非難する声明を出すのである。サルトルが頑なにソ連擁護をし続けた理由は何か。(1)生来的な弱者への思いやり・(2)終生変わることのなかった反権力志向・(3)コジェーヴ流のヘーゲル的進歩史観に触発された左翼信仰・(4)マニ教的善悪二元論による現実の左翼的裁断などを挙げることができるだろう。以上(3)と(4)が今回の研究の新機軸といえる成果である。
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