2019 Fiscal Year Annual Research Report
日本の「新しい波」による「主体」を表現する映画の考察―映画の物語論的分析を通して
Project/Area Number |
19J10434
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
大谷 晋平 神戸大学, 国際文化学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2019-04-25 – 2021-03-31
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Keywords | 日本の戦後映画 / ヌーヴェルヴァーグ / 大島渚 / 松本俊夫 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度の研究は大きく分けて二つに分けられる。一つは大島渚や松本俊夫ら日本の「新しい波」の映画人が、戦前から戦後に続く日本映画の連続性を批判したことについて考察することである。彼らは、日本映画界が戦中は軍国主義、戦後にはすぐに民主主義・平和主義の作品を制作し、戦争責任について充分に追求しないまま権力に従属していることを指摘した。そして一人ひとりの映画人の主体のなさを批判して、作家主体の映画制作を掲げたのである。そして報告者は大島らが批判していた木下惠介の戦中・戦後の作品を取り上げてその連続性について分析した。 木下の戦中の作品と戦後の代表作『二十四の瞳』(1954)では、当時の他の多くの映画と同様に、郷土愛、友情、家族愛が描かれることが共通しており、戦闘など戦争の残忍さを表すシーンがないことが共通していた。さらに『二十四の瞳』は作中人物の多くが戦争の悲惨さに見舞われる気の毒な人物として描かれており、大島はそれを被害者意識の映画と位置づけ、日本人の加害者の一面を覆い隠しているとして批判した。 そして大島は『飼育』(1961)を制作し、日本人が戦争責任に向き合わず、戦中から戦後まで事なかれ主義でいる点を子どもの眼差しを通して描き、その無責任さがいかに次世代の課題となっているかを表現した。これらの考察を通して、大島ら日本の「新しい波」による日本映画の連続性批判と映画作品の具体的な分析を結びつけた。 もう一つの実績は、フランスのシネマテークフランセーズで日本の「新しい波」とフランスのヌーヴェルヴァーグに関する資料調査を行い、次年度に前者による作家主体と後者による作家主義の論理を比較・考察するための資料を収集した。また、映画の物語論を中心に映画理論に関する文献も収集し、映画における「作家」の問題を考察するための土台作りを行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究課題については概ね順調に進展していると考える。 当初の予定通り、今年度は日本の「新しい波」による戦前から戦後にかけてに日本映画の連続性批判を考察し、そういった戦争責任追及の問題が作家主体論に結びついていることも言説・作品研究を通して明らかにできた。 また、後期はフランスに行き、充分に資料調査を行うことができた。 特に映画における作家の問題に関する文献を数多く手に入れることができ、次年度にこの理論的問題に取り組み、その上で日本の「新しい波」が唱えた作家主体論とフランスの作家主義との差異について考察する土台作りができた。 また、映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の記事を中心に収集し、フランスにおいて日本の「新しい波」の映画がどのように受け入れられたのかを考察する準備を整えた。
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Strategy for Future Research Activity |
今年度は主に映画物語論における作家の問題と、日本の「新しい波」とフランスのヌーヴェルヴァーグの差異について考察する。 まずは、前年度のフランスの資料調査を土台にして映画における「作家」が物語論においてどのように位置付けられるのかを整理し、映画の観客が作品を通していかにして映画監督のスタイルを想定するかという問題について考察する。アメリカの映画学者エドワード・ブラニガンは『Narrative Comprehension in the Fiction Film』(1992)において映画作品のテクスト等から観客が構築する作家像を「歴史的作者」(historical authour)であるとして、「語り手」(narrator)とは別の理論的存在として想定した。今年度の研究はこの論を切り口にして、作家が理論的にどのように扱われてきたのかを整理し、映画批評レヴェルでの映画監督(作家)をどのように位置付けるべきかを考察し、上半期のうちに論文を執筆する。 そして上記の研究を土台にして「新しい波」による作家主体、フランスのヌーヴェルヴァーグによる作家主義の比較考察にを行う。特に作家主体の映画では例えば大島渚や勅使河原宏の作品では、特定の映画技法を通して作家の身体(性)が表出している表現が見られる。そういった作家の身体(性)を観客に想定させる映画表現について考察し、それを通して作家主体と作家主義の差異を考察していく。そして下半期に論文を執筆する。 なお、一つ目の研究テーマに取り組む上で、上半期にアメリカのUCLAやAmerican Film Instituteに一ヶ月程度の資料調査に行く予定であるが、新型コロナウイルスの影響もあるため渡米を年度末近辺に変更することも検討する。
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