2020 Fiscal Year Annual Research Report
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19J23155
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
杉野 駿 東京大学, 人文社会系研究科基礎文化研究専攻(美学), 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2019-04-25 – 2022-03-31
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Keywords | ディドロ / 啓蒙 / 美学 / 理想的モデル / プラトン主義 / ヴィンケルマン |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度、報告者はフランス啓蒙主義の哲学者であるドゥニ・ディドロの美学理論「理想的モデル」論の研究を進めてきた。プラトンのイデア概念に由来し、キケロやフィツィーノらに彫琢されながら西洋美学史に寄り添ってきた観念論美学は、18世紀になると「理想的モデル」あるいは「観念的モデル」論として、それまでとはやや異なる形で一つの哲学的トポスを形成する。「理想的モデル」の語はシャルル・バトゥがその『一つの原理に還元された諸芸術』の中で、キケロの理想的弁論家論を念頭にはじめて使用した言葉だが、これが「美しい自然の模倣」論やビュフォンの動物学、そしてヴィンケルマンによって決定的に理論化される新古典主義など複数の知的コンテクストの中で用いられ、変容していく。その中で、「理想的モデル」論は啓蒙主義哲学における複数の決定的なパラダイムの結節点として立ち現れてくる。ディドロによる「理想的モデル」論の理論化それ自体と、この理論と有機的に関連する他の哲学理論の形成過程をできるかぎり力動的な形で描くことは本研究の目的の一つだが、これは複数のコンテクストの結節点であるディドロの理想的モデル論という乱麻から、啓蒙主義哲学全体照射し直すことにもつながる。そのために、報告者は、ディドロの美学思想における「亡霊」と「彫像」という二つの形象に着目しながらその思想の特徴を浮き彫りにしようと試みた。そこで明らかになったのは、1.「理想的モデル」論は仮象と理念の間の断絶と連続--『ダランベールの夢』の言葉を用いるなら両者の「隣接」--というプラトン の理論に胚胎していた側面を新しく理論化しなおしたのであり、2.そうであるがゆえに、実践におけるそれぞれの「モデル」は唯一不変のものではなくむしろ「手探り」によって変容しながら相互にアナロジー関係を持つという、以上の二点である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
研究計画では、ディドロの理想的モデル論が、観念論的伝統を持つ美学・道徳思想を唯物論の立場から受け容れうるものに転位させるという賭け金を持っており、また、この見立てのなかで「理想的モデル」概念がうまく機能するためには「後世」概念の洗練が不可欠であるという前提のもとに、1)特にディドロの唯物論的美学の性質を明らかにするために、シャフツベリの『徳と価値に関する試論』翻訳と、晩年にハーゲドルンと対決した『絵画論断章』を検討し、2)ディドロ晩年の政治思想と「後世」論の政治的転回を詳しく論ずるため、大著『セネカ論』を研究するという予定であった。しかし、本年度はディドロ哲学を貫く三つの「逆説」の発見(「後世の亡霊」、「未完の完全化可能性」、「盲目の啓蒙」)に伴い、理想的モデル論の中で概念を有効なものとして機能させているある種の装置-―諸概念や形象の布置そのものと言ってもよい-―を浮き彫りにするため、二つの具体的な形象をとりあげて主題化した。「亡霊」と「彫像」である。これはまず申請者の研究の方法論的に大きく展開したことを示している。また、そこから明らかになった理想的モデル論の実態は、従来の十八世紀哲学研究や、申請者の昨年度の見立てにあったような、観念論哲学と唯物論哲学の調停という側面を大きく逸脱し、むしろこの二項対立の脱構築と、観念的なものと物質的なものの断絶と連続自体を一つの装置として「隣接」のモデルのもとに理論化したという、極めてオリジナルなものであった。以上の理由のもとに、申請者の研究は当初の計画以上に進展したと言える。
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Strategy for Future Research Activity |
上記の通り、本年度、申請者はディドロに特徴的な「亡霊」の諸形象に着目し、例えば『俳優に関する逆説』の中で俳優の理想的モデルが「大いなる亡霊」と呼ばれる部分などを足がかりに、唯物論者であるディドロが現実的なものと可能的なものとの関係を理論化し、現実に対して自らを絶えず差異化する観念の運動を描き出したことを示した。この、我々に現象する現実が常にすでにこうした観念との関わりの元にあり、この点においてのみ我々は物理的現実に対して自由である、という理論的前提が、第二の逆説である「不完全な完全化可能性」を導き出す。これはルソーの『人間不平等起源論』のうちにもみられる人間の弁別的特徴としての「完全化可能性」つまり「より完全」になる可能性は、しかし最終的に「完全」になることの不可能性に裏打ちされており、そのため「完全化」の過程は常に未完であるという事態である。本年度は、上記の「亡霊」論をさらに発展させるとともに、「完全化可能性」の概念の研究を進める。そこではルソーやビュフォンの哲学 とディドロ哲学との比較を中心に、「人間学」としての「理想的モデル」論の描出が目指される。また極めてアクチュアルな問題である、哲学における「動物」の位置づけもディドロのテクストを通じて問い直されることになるだろう。上記の問題系を結ぶ導きの糸として、本研究は「手探り」概念を設定しているが、永遠に未完の「完全化可能性」、そしてこれは我々にまさに「亡霊」のごとく取り憑くものなのであるが、そしてその元での我々の「手探り」は、最終的な目的の見えぬままに繰り返される実験としての「盲目の啓蒙」という最後の逆説へと我々を導く。この「盲目」論の成果は、11月にブリュッセルで予定されている国際学会で発表される予定である。
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