2019 Fiscal Year Research-status Report
ヴィクトリア朝におけるフェミニズムと人権理念の関係について
Project/Area Number |
19K13382
|
Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
田村 理 北海道大学, 文学研究院, 専門研究員 (00768476)
|
Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
|
Keywords | 人権理念 / 帝国主義 / フェミニズム / ヴィクトリア朝 / リヴァプール / ジョセフィン・バトラ |
Outline of Annual Research Achievements |
ヴィクトリア朝イギリスにおけるフェミニズムの形成過程を、人権理念の女性に対する適用という観点から再検討する。「万人は生来にして自由」を謳う人権理念は、18世紀後半の環大西洋世界において精錬された。それは元来、身分制と体制教会に即した、旧態依然の国制原理を非難する言説であった。従ってその果実を享受できるのは、有産者の白人男性のみである点が暗黙裡に前提とされていた。ところが19世紀から20世紀にかけて、人権理念の標榜する普遍主義を徹底すべきとの声が女性、黒人、従属民族の間から上がった。また生命、身体、自由のみならず、社会の中で人間らしく生きる権利も保障されるべきとの声が、貧困に苦しむ労働者の間から上がった。本研究は、個別の事例研究を通じて、女性による人権理念の援用とその効果、およびそれに付随する問題点を明らかにしようとする。 事例研究の対象は、ヴィクトリア朝(1837~1901年)イギリスの港湾都市リヴァプールにおける性労働者の救済運動である。またそれを主導した、J・バトラ(Josephine Butler, 1828-1906)の思索と生涯を明らかにする。研究1年目においては、彼女の従事した社会活動の背景の理解に努めた。つまりリヴァプールの社会経済構造、およびその内部に巣食う性売買の実情を調査し、以下の事実を明らかにした。まず、リヴァプールは内陸の製造業地帯との分業を促進すべく、港湾機能の拡充に特化していた。それゆえ、社会的、経済的混乱の続く近隣地域やアイルランドから流入した貧困男性を、港湾荷役や土木建設に携わる非熟練労働者として大量に雇用した。他方で、少なからぬ貧困女性が、工場に乏しいため召使を除いては就職先を見出せず、結果的に性売を余儀なくされた。この状況に際し市当局は、貧困男性に劣悪な労働条件を受忍させるとの期待の下、性売買を厳格に管理しつつも暗に奨励した。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
3月に予定していたリヴァプール文書館での史料調査を、新型コロナウィルスの感染拡大を考慮し直前で断念したため。イギリスでは都市封鎖が行われる等の異常事態が続いており、現地の文書館員や研究者の協力を仰ぐこともできない。現時点で一次史料に触れられていない以上、本研究の進捗状況は「やや遅れている」とせざるをえない。 ただしそれ以外の点については順調である。まず、ヴィクトリア朝リヴァプールの社会経済構造と、その内部に巣食う性売買の実情を調査した。前者についてはベルチェム(J. Belchem)を旗手として、厖大な研究成果が蓄積されているが、精査の上で順調に読み進めている。後者については対象の性質上、関心を持つ歴史学者が極端に少ない。ゆえにそれが言及される文献を網羅することは困難ではなかった。 次に、ハント(L. Hunt)、ホフマン(S-L. Hoffman)、グロス(A. Gross)等によって旺盛に推進されている、人権理念のグローバル・ヒストリーの研究状況を整理した。その結果、大西洋奴隷制(18世紀)とジェノサイド(20世紀)の狭間の期間に発生した、若年の貧困女性を遠隔地での性労働に従事させようと有形無形の圧力を加える行為、あるいはその撲滅を目指す社会運動を通じて、人権理念の世界的な浸透が促された事実を理解できた。このような歴史学界の潮流の中に、本研究を位置付ける方途を模索している。 最後に、リヴァプール文書館の目録をオンライン上で調査した。その結果、興味本位の大衆向けジャーナリズムとは別に、市当局による性売買の実態調査等、信頼に足る一次史料が相当に存在する事実を突き止めた。つまり、研究蓄積の乏しさの原因は歴史学者の側にあって、一次史料の残存状況とは無関係である点が理解できた。
|
Strategy for Future Research Activity |
9月にリヴァプール文書館で史料調査を行いたい。これは、前年度3月に新型コロナウィルスの感染拡大に伴い延期されていたものである。しかしながら、現状は収束の兆しが見られず、明るい展望を描けない。仮に本年度3月に再々延期したとしても、渡航不可という事態もありうる。それゆえ、ヴィクトリア朝リヴァプールにおける性売買の実情を、同時代の社会経済構造の中に位置づけて再検討するという、第1段階の作業は当面保留とする。 従って2年目においては、第2段階の作業を前倒しして着手する。すなわち、J・バトラの思索と生涯を調査する。そのために10点程度存在する伝記を調査し、90点程度存在するといわれる彼女自身の著作物を分析する。バトラは裕福な地主の娘として生まれ育ち、教員の妻となったが、リヴァプールの貧困女性、特に性労働者の救済運動を指導した。伝染病法廃止に尽力した第一人者としても知られる。その法令とは、買春夫には何の義務も課さない一方、売春婦にのみ性病検査を強制するというものである。また彼女が、性表現や性風俗の厳格な規制に賛成であったのか否かについては諸説ある。 本研究では、(i)バトラが人権理念の女性への拡張適用を試みた点に着目する。また、(ii)彼女がインドを初めとする植民地の女性救済に熱心な余り、イギリス帝国主義を支持した点をも重視する。つまりイギリス人が「文明化の使命」、「白人の責務」として、「好色で野蛮な現地男性」の魔の手から、「清純で哀れな現地女性」を救出すべき旨を訴えたとされる。(i)と(ii)の関連性を考察するに当り、リヴァプールであれインドであれ、貧困女性が抱く個別の価値観に対するバトラの見解を炙り出す。3年目以降では、バトラに関する手稿史料等をリヴァプールやイギリスのその他の地域において調査する。
|
Causes of Carryover |
3月に予定していたイギリス・リヴァプール文書館における史料調査を、新型コロナウィルス感染拡大を考慮して中止したため。この計画を2020年度9月ないしは3月に実行したい。ただ、そのためには新型コロナウィルス感染拡大が収束しており、イギリス渡航が可能となっている点が前提となる。
|