2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
20402055
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Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
稲葉 継雄 Kyushu University, 人間環境学研究院, 教授 (00134180)
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Keywords | 帝国「日本」 / 満州 / 植民地 / 間島 / 被支配地域 |
Research Abstract |
今年度は、「満鮮一体」として植民地朝鮮とともに日本の植民地支配において重視された満洲(間島)地域、すなわち、現中国東北部(主に延辺朝鮮族自治州の延吉市、龍井市)の教育史的調査を実施することが最大の目的であった。満洲(間島)地域は広大で豊饒な土地を有するだけでなく、朝鮮の義兵闘争の拠点であったため、日本の大陸進出において常に重要なエリアとして位置づけられた。しかし、1932年に同地に満洲国が建国されると、白頭山を分水嶺として流れる豆満江と鴨緑江は朝鮮半島と満洲を明確に分かつ境界線となった。朝鮮半島では帝国「日本」の下で朝鮮民族が「日本人」になっていく一方で、満洲では五族協和のイデオロギーの下で「朝鮮族」が積極的に可視化されていったからである。したがって、満洲(間島)地域の教育が朝鮮半島のそれとは異なった特性を有していたことは想像に難くない。 そこでまずは、満洲教育史の大家である槻木瑞生先生や花井みわ先生、小林玲子先生とともに研究会を開催し、満洲(間島)地域における朝鮮人の流動性や同地に関連する史料について議論した。 その上で、延辺朝鮮族自治州档案館を訪問して近代教育史史料の調査を実施し、『間島普通学校沿革史』を入手することができた。本史料には間島普通学校の開校当時である1908年から1942年までの出来事が日記形式で書かれており、また教員の配置・入れ替わり・月俸・賞与などが記録されている。韓国統監府臨時間島派出所の所長であった斎藤季治郎の設立した間島普通学校は、満洲(間島)地域における日本の朝鮮人教育を代表する学校であり、『間島普通学校沿革史』はその内実を知る上でなくてはならない非常に重要な史料であるといえる。
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Research Products
(4 results)