Research Abstract |
今年度は,おそらく西洋哲学史上初めて生の「目的」を中心的概念としてその内実を明確に措定したデモクリトスの快楽主義的な倫理学説を,彼の後の倫理学説,特にエピクロスやキュレネ派の快楽主義との関係を念頭に置きながら,考察した.デモクリトスの倫理学的著作断片の多くは伝承の過程でアフォリズムの形へと縮約改変を受けており,一定の学説として再構成することには困難がともなうため,彼を,体系的な倫理学説をもたない,処世訓を与えてくれるだけのモラリストと見なす研究者も多い.しかしそれは彼の思想に対する過小評価と言わざるをえない.むしろ彼は,ソクラテスよりも前に,生の目的を魂の善としての「明朗闊達さ」と措定し,行為の普遍的な規範を規定しようとしており,その限りで彼は体系的な倫理学説を志向した思想家と言える. デモクリトスの倫理学説は,自律性を基本としてあくまでも自己の利益を追求する自己中心的な快楽主義--ただしキュレネ派のような無条件で瞬間的な快楽の享受を認めるものではなく,あくまでも適度を守った啓蒙的なものだが--であり,これはそれ自体が快である「明朗闊達さ」を善なる人生の目的としたことから必然的に帰結するものであった.従って,正義や勇気,節制といった伝統的な徳も,人為的なノモスしての法制度や道徳,そして国家も,自己の目的の実現にとって有益であるかぎりで評価されることになった.彼の倫理学説には,快楽の本性の厳密な規定,人間の行動の原理をまずもって快楽に置くということの妥当性,あるいは,長期的視点に立って考えられた快と個別の有益な対象がもつ快との整合的関係など,問われるべき問題は依然として残るが,それでもなお,それが一貫した体系的な学説を志向するものであることは明らかであろう.
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