2010 Fiscal Year Annual Research Report
ギリシア哲学における快楽主義の系譜の再検討とその史的意義の再評価
Project/Area Number |
20520011
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Research Institution | Kanazawa University |
Principal Investigator |
三浦 要 金沢大学, 人間科学系, 教授 (20222317)
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Keywords | エピクロス / 快楽主義 / 死 / キュレネ派 |
Research Abstract |
今年度はキュレネ派の快楽主義について更に詳細な検討を行うことにしていたが,その過程で,アリスティッポスとは異なる快楽主義を展開した同時代のエピクロスの快楽主義において,死の分析が重要な意味をもっていることが明らかとなったため,研究の焦点をキュレネ派に加えてエピクロスの死についての分析にも当てることとした(使用テクストは同一の『ギリシア哲学者列伝』).エピクロスは「死は何ものでもない」とする認識を,快楽たる「魂の平静」の基本的条件とする.しかしこの認識は我々の直観に反する.T.Nagelを初めとして多くの哲学者がこのエピクロスの推論への反駁を試みているが,いずれも成功しているとは言い難い.エピクロスに反論する一つの方法は,死とは瞬間的な状態の移行であり,またその変化の結果としか言えないという前提に異を唱えることである.そして実は原子論そのものが,死ぬということが死という終点に向かっての変化のプロセスを含んだものだと考える余地を残している. また,エピクロスに対する反論は,もっぱら「死は悪しきものではない」という主張をその標的として展開されていた.しかし彼がまず言わんとしていることは,正確には,ソクラテス同様に,「我々には死が善きものであるか悪しきものであるかを知るすべがない」ということである.逆に,我々に確実にわかっているのは,この生こそが生きるべきものであるということ,知りようのないものに快楽の享受を妨げられてはならない.ならば,善き生,幸福な生へとわれわれを促しているのは,実は死そのものであると言える.生が本来的に価値あるものだとしたら,その価値の源泉は死に他ならない.そのように死を評価することは,災厄として死を忌み嫌うこととは基本的に異なり,十分に根拠のあることなのである.死を何ものでもないと主張することの意義は,実は「よく生きる」ということへの促しにある.
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Research Products
(2 results)