Research Abstract |
『修習次第』という後期中観派を代表する論師カマラシーラの著作を研究する意義は以下の点に認められる.後期中観派の「哲学」思想としては,カマラシーラの他の著作,あるいはカマラシーラの師シャーンタラクシタの著作等から,その詳細が明らかになりつつある(一郷正道『中観荘厳論の研究』等参照).しかし,彼ら論師の思想は,抽象化された概念としてではなく,彼らが伝承する経典とその解釈,そして実践としての瞑想に裏付けられた思想として論じられている点は十分に考慮されるべきであろう.『修習次第』の持つ重要性は,その名の示すとおり,実践階梯としての瞑想を論じ,また,それらについての論述が豊富な経典引用によって正当化されている点にある.さらに,中観派は,同じ大乗の学派として活動した瑜伽行派と比較して,わずかな修道論しか残しておらず,『修習次第』は中観派の修道論を知り得る貴重な著作であることも重視されるべきであろう.したがって,『修習次第』に記される修道論,経典解釈等を明らかにすることは,後期中観派のみならず,中観派内で継承されてきた修道論,経典解釈の一端を明らかにすることともなり,カマラシーラの思想の全貌も,彼の修道論を踏まえた上で明らかにされるものである. 以上の点を踏まえた上で,昨年度からの研究活動において,研究代表者はすでに三篇すべて試訳を完成している.研究協力者とともに開催している輪読会では,現在は初篇に対して,上述の試訳をたたき台に完成訳の作成を進めている.輪読会を通して,引用される文献の出典の確認,三篇全体の内容や三篇の相互関係を吟味を行っている. 現段階の成果としては,『修習次第』において経典を引用する際の解釈,その順序等がジュニャーナガルバの『学集論』としばしば一致をみることが明らかになったことである.同じ中観派ではあるが,その中でも異系統の思想を論じる両論師であるが,修道と経典解釈において同様の立場を取る点は,今後,中観派の思想を検討する上で重要な示唆を与えるものである.
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