2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
20520291
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
村瀬 延哉 Hiroshima University, 大学院・総合科学研究科, 教授 (10089097)
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Keywords | 仏文学 / コルネイユ / 17世紀 / 演劇 / フランス社会 |
Research Abstract |
本年度は、コルネイユによる演劇創造と当時のフランスの政治、思想、文化等の状況の関連を明らかにする目的で、主に『ポンペーの死』に始まる彼の中期作品を取り上げた。中期作品はマザランが宰相位にあった時期に発表されており、プロパガンダに堕すことはなかったものの、事実上のパトロンであった宰相の存在を強く意識させる戯曲が多い。たとえばコルネイユは、対抗宗教改革のイタリアで宰相が親しんが宗教劇のテーマに基づく『テオドール」を公表して失敗するが、失敗の原因の一つに反マザラン派のジャンセニスト等「信心派」の策謀があったと推測される。さらに、彼がフランス・オペラの嚆矢といえる『アンドロメード』を執筆したのも、祖国イタリアでオペラを愛好していたマザランの影響が大であった。またこれに続く『ドン・サンシュ・ダラゴン』では、宰相と王母の親密な関係か理想化して描きあげられているが、政治的意図が明瞭過ぎたために、早々と上演中止に追い込まれた。しかし、劇作家は一途に宰相に忠節を尽くしたのではない。フロンドの乱が激化しマザラン失脚の可能性が高まった1661年には、宰相の政敵コンデを想わす主人公を登場させ、コンデを賞賛するかのような『ニコメード』を書い上げている。さらに、次の『ペルタリート』でもコルネイユは作中で、王権と反乱を起こした封建大貴族の融和を追求する試みを行った。フロンドの後半時期に劇作家に生じたこのような変節とも呼びうる現象は、彼がマザランの前任者リシュリューに対しても、公然とではないにしても批判的視点を有していたことを考慮すると、劇作家が絶対王政下で実質的な最高権力者である宰相たちが進める改革に必ずしも賛同しておらず、むしろ封建的な英雄に理想像を求めていたことは示すものだと考えられる。
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Research Products
(1 results)