2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
20820022
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
大野 陽子 Osaka University, 文学研究科, 助教 (80512938)
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Keywords | アントニオ・カンピ / カトリック改革 / 北イタリア / カルロ・ボッロメーオ |
Research Abstract |
研究初年度である本年度は、画家アントニオ・カンピの活動の全容を把握すべく彼を含むカンピ兄弟の作品史を押さえ、研究の枠組みを作ることを研究の主眼におき、殊に彼が兄ジュリオの影響を脱して活動地域をクレモナからミラノへと広げた1560年代の作品を中心に、実地調査、古文書調査を行った。インヴェリゴの《園での祈り》、ミラノ・ブレラ美術館《聖家族》、サン・バオロ・コンヴェルソ聖堂礼拝堂装飾、サンタンジェロ聖堂聖カテリーナ礼拝堂装飾に関する基礎調査の結果、研究の進展の見込まれるサンタンジェロ聖堂の作品に研究対象を絞ることとした。本年度は1580年代初頭にアントニオが礼拝堂装飾を手がける以前、礼拝堂の所有者ガッララーティ家の委嘱で1540年に制作されたガウデンツィオ・フェッラーリによる祭壇画《聖カテリーナの受難》に遡って、礼拝堂の成立と絵画制作の事情に関する調査を進めた。ガッララーティ家当主ジャコモの1537年の遺言書によると、この頃、彼の亡き妻のための礼拝堂が聖女に捧げられた巡礼地サンタ・カテリーナ・デル・サッソに建設中であり、ジャコモの墓碑礼拝堂の同聖女への献堂はミラノの礼拝堂を巡礼地と結びつけようという意図があったと考えられる。礼拝堂装飾は男性当主のためその息子によって委嘱され、祭壇画の主題として、女性信徒の崇敬に結びつく「聖カテリーナの神秘の結婚」ではなく聖女の受難の場面が選択され、礼拝堂両側面の絵画は男性聖人に充てられた。しかし40年後、ガッララーティ家未亡人の下で礼拝堂が再建された際、カンピが描いたのは《獄中の聖女を訪れる皇后ファウスティーナ》と《聖カテリーナの斬首》という一連の聖女伝エピソードであった。同時代記録から浮かび上がる礼拝堂装飾の制作背景を踏まえて、今後は、16世紀におけるミラノ周辺部における聖カテリーナ崇拝とジェンダーといった位相から本作品をとらえなおしたいと考えている。
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