2021 Fiscal Year Research-status Report
冷戦期における日本文学の世界化―米国クノップフ社・グローブプレス資料による
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20K00322
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Research Institution | Nihon University |
Principal Investigator |
服部 訓和 日本大学, 商学部, 准教授 (40612784)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 川端康成 / サイデンステッカー / 日本PENクラブ / ノーベル賞 / 文化自由会議 |
Outline of Annual Research Achievements |
令和3年度も渡米してのアーカイブ調査が不可能だったため、引き続き国内で可能な範囲での資料調査と、既収集資料の整理・分析を中心に進めた。収集可能であった資料には限りがあるが、既収集資料に基づいて以下のような調査結果を得た。 1968年の川端康成のノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」をエドワード・G・サイデンステッカーが通訳、翻訳したことに表れているように、両者の関係は単なる原作者と翻訳者との関係に止まるものではない。1958年の「パステルナーク問題」をめぐって、日本PENクラブのソヴィエト寄りの姿勢をサイデンステッカーやアーサー・ケストラー、平林たい子らが批判した際に、調停者の役割を果たしたのが川端であった。 「パステルナーク問題」において如上のような批判攻勢がかけられたコンテクストは従来明らかではなかったが、米国中央情報局の支援を受けていたことが知られている文化自由会議(The Congress for Cultural Freedom)関連資料(シカゴ大学図書館)によれば、こうした反共的な攻勢は、サイデンステッカーや日本学者ハーバート・パッシンを含めた文化自由会議のメンバー協議のもと、ソヴィエトの平和攻勢に対抗するべく、組織的に展開されていたことがわかった。ケストラーは文化自由会議の顧問格のメンバーであり、平林はその日本支部の中核メンバーである。 こうしたサイデンステッカーたちの反共的な運動が政治的なプロパガンダの一種であったことは、当時の左派論壇には一定程度リークされてはいた。川端についても、文化自由会議の政治的主張に同調していたとは考えにくい。むしろ、文化自由会議の背景に共有されていた思想、共通の基盤を喪失した現代の社会には伝統の回復が必要であり、そのためには東洋と西洋とが出会う必要があるという思想を、戦後の川端作品が共有していたのではないかと考えられる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
本研究の主要課題にあたる米国アーカイブ所蔵資料(とくにテキサス州立大学オースティン校、シラキュース大学)の資料調査は、昨年から継続する新型コロナウィルスのパンデミックにより、所属大学から海外渡航自体が禁止され、実行できなかった。国内で可能な限りの資料調査等を進めており、一定の成果は見られるものの、研究成果を公開するには到らなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
令和4年度についても、新型コロナウィルスのパンデミックは継続しているが、所属大学では申請により許可が出た場合については海外渡航が可能となった。したがって、各国の入境制限や感染の流行状況の推移等を見ながら、出来うる限り現地での資料調査を実現した。仮に現地調査が実現しなかった場合には、引き続き国内で可能な調査を進め、研究成果の公開に注力する。
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Causes of Carryover |
令和2年度に引き続き令和3年度も在米国資料の調査を実施できなかったため、次年度使用額が生じている。現地調査が可能となり次第、渡航期間ないしは回数を増やして実行する計画である。
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