2021 Fiscal Year Research-status Report
宮中儀礼にみる17世紀朝鮮の対清観に関する基礎的研究
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20K00927
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Research Institution | Kurume University |
Principal Investigator |
桑野 栄治 久留米大学, 文学部, 教授 (80243864)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 朝鮮後期 / 朝清関係 / 粛宗 / 王世子 / 康熙帝 / 『大明会典』 / 『燕行日録』 / ガルダン征討 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、17世紀における正月元旦・冬至・聖節の望闕礼(遥拝儀礼)の実施状況を整理・分析することにより、粛宗代(1674~1720年)における朝鮮の対清観を宮中儀礼の側面から検証するものである。具体的には基本史料の『朝鮮王朝実録』『承政院日記』のほか、『議政府謄録』『備辺司謄録』『勅使謄録』『同文彙考』など、各官庁の謄録類を中心に望闕礼の期日決定、リハーサル、実際の挙行の有無に関する記録を収集し、基礎的データを構築している。 科研費2年目の令和3年度はこの作業を遂行する傍ら、粛宗代における王世子(のちの景宗)の冊封奏請をめぐる清の礼部との外交交渉に注目した。従来、礼部は『大清会典』の規定を根拠として朝鮮の王世子冊封を拒否したとみなされていたが、実際に礼部尚書が法的根拠としたのは明の国制総覧『大明会典』であり、清では「通行の法」として遵用されていた。『大明会典』には「親王嫡長子」の場合、「王と正妃と年五十を待ちて嫡無くんば、始めて庶長子を立てて王世子と為す」とある。粛宗と王妃は当時30代であり、景宗は庶長子であった。第二次冊封奏請使の子弟が記録した『燕行日録』によれば、康熙帝の最終判断には内閣大学士の意向が働き、礼部の議奏を退けて王世子の冊封を承認するに至った。康熙帝は粛宗の長病みに配慮しており、おりしも第三次親征によりガルダン率いるジュンガル政権が敗北していたことも奏功した。『清実録』によれば、奏請使一行は「朔漠の蕩平」を祝賀して礼物を献上し、ついで康熙帝が王世子の冊封を承認したと記録される。 以上のように、朝鮮は第二次冊封奏請使を派遣したにもかかわらず、彼らはガルダン征討を祝う陪臣のごとく映るよう記録されており、朝清間の相互認識が乖離していたことを浮き彫りにした。また、王世子冊封を前後して粛宗が康熙帝のために文武百官を率いて望闕礼を挙行することはなかったことも判明した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
科研費2年目の令和3年度は、17世紀朝鮮の対清観に関する研究成果の一部として、当初の研究計画では第3章「王妃の廃立と望闕礼」の補論として設定していた、王世子の冊封奏請をめぐる外交交渉の顛末と対清観に関する分析結果を大幅に増補のうえ、本学の紀要論文集に掲載した(桑野栄治「朝鮮粛宗代の王世子冊封にみる朝清関係」『久留米大学文学部紀要(国際文化学科編)』第38号、2022年3月、pp.43~75)。 ただ、初年度の令和2年度にひきつづき、当初予期していなかった新型コロナウイルスの収束がまったく見通せず、また令和3年度には本学での対面講義一部再開にともない、感染防止のため県外への行動制限をする必要にも迫られた。その結果、文献史料調査として計画していた海外出張(ソウル)はもちろんのこと、感染状況が拡大する首都圏(東京)・関西圏(大阪)への国内出張も自粛せざるをえなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
当初の研究計画では、粛宗の在位期間(1674~1720年)が46年という長期政権であることから、データの整理・分析は令和3年度まで時間を要するであろうことは、すでに想定済みであった。この研究計画に沿いつつ、科研費最終年度の令和4年度もひきつづき粛宗代における望闕礼の実施状況に加え、粛宗30年に創設された大報壇祭祀の実施状況に関する記録とあわせて逐一パソコンに入力し、基礎的データのさらなる構築に努めることにしたい。あわせて、粛宗43年の王世子(のちの景宗)による代理聴政と清使接待儀礼、また粛宗死後の景宗代(1720~24年)についても望闕礼の期日決定、リハーサル、実際の挙行の有無、とりわけ王室庭園にて朝鮮国王が大明皇帝を祀る大報壇祭祀の実施状況との関連様相に細心の注意を払いつつ、研究論文の執筆に取り組みたい。 令和4年5月現在、粛宗30年の大報壇創設以後、粛宗が死去する粛宗46年までの望闕礼に関するデータ整理と分析はほぼ終えている。その過程で粛宗30年以前の朝鮮王室儀礼と対清観に関しては、科研費初年度に「朝鮮粛宗代の王妃冊封にみる朝清関係」を、次年度には「朝鮮粛宗代の王世子冊封にみる朝清関係」の論考を、いわば中間報告として公表済みである。よって、令和4年度末までには粛宗・景宗代における望闕礼ならびに粛宗30年に始まる大報壇祭祀の運用とその意義について総括し、当該期における宮中儀礼と対清観に関する研究成果を公表できるものと思われる。
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Causes of Carryover |
科研費初年度の令和2年度以来、研究計画当初はまったく予期できなかったコロナ禍により、令和3年度も文献史料調査を目的として計画していた海外出張(ソウル大学中央図書館など)はいうまでもなく、新型コロナウイルスの感染状況が深刻な首都圏(東京大学附属図書館)や関西圏(大阪府立中之島図書館)への国内出張さえ自粛せざるをえなかった。そこで、令和4年度に繰り越される助成金については、令和2年度につづいて令和3年度も自粛するほかなかった首都圏と関西圏への出張旅費を文献複写費(マイクロフィルム撮影費を含む)とあわせてあらためて予算に計上し、また研究図書費(朝鮮近世政治外交史関連図書)を増額して対応するなど、再考せざるをえない状況にある。
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Research Products
(1 results)