2020 Fiscal Year Research-status Report
日本中世の地域秩序および地域政治史の展開に関する研究-播磨国を中心に-
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20K00981
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
市澤 哲 神戸大学, 人文学研究科, 教授 (30251862)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 日本史 / 日本中世史 / 地域史 / 社会史 |
Outline of Annual Research Achievements |
初年度は、在地に出自を持つ荘官層が地域の中でどのような関係を構築しているのかに注目して研究を進めた。 具体的には播磨国加東郡大部荘と同国明石郡平野荘で乱入事件を起こしたメンバーの重なりに注目し、いかにして悪党集団が形成されたのかを分析した。 まず、この問題を考える際に楠木武氏が提唱した「山間の海賊」論が有効であることを確認した。播磨の交通体系は河川と谷筋からなる南北交通と、湯山街道、西国街道、海上交通からなる東西交通を基本として成り立っており、山間、内陸部のアクター同士が結びつきやすい傾向がある。このように見たとき、規模が小さい山間の集落が交通の要衝としての意味を持つ場合がある。悪党の中に明石郡下端に出自を持つ者がいるが、下端は播磨国の中で極めて規模の小さい平家領であった。また14世紀内乱では南下する南朝軍が拠点を構え、海岸線を防衛する幕府軍と衝突する場となる。下端は規模からは推し量れない意味を持っていたことが明らかになった。 問題はこのような交通路を介して人々が関係し合う契機であるが、大部荘悪党が地頭代や地頭の所務代官であることを手がかりに、悪党メンバーの多くがこれらの交通路を使った荘園年貢の搬出や荘外領主との連絡などの荘園所務を職務としていたと想定した。そうすれば、東大寺が「どうして地頭は悪党を代官として登用するのか」と地頭を指弾していることを、逆に読むことが可能になる。 つまり、地頭代官として所務に関わる中で、悪党集団の基礎となる人間関係が構築されると考えるのである。榎原雅治氏は15世紀の播磨・備前の交通について、上記と同じ構造を描きながら、流通の担い手が14世紀の荘官から15世紀の荘園外の宿に拠点を持つ有徳人へと変化したことを論じている。これを援用すれば、所務代官らはこの交通路から退場することで、悪党集団を形成する基盤を失ったという仮説を提示することも可能であろう。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
「研究実績の概要」で記したように、荘園所務という行為が播磨国の特徴的な交通体系上でなされることにより、同じ職務を遂行する者同士の間に関係ができること、それが播磨国の悪党集団形成の基盤になることを仮説的に明らかにすることができた。 また、「概要」では触れられなかったが、大部荘の悪党事件を引き起こしたメンバーの中に、先行して起こった平野荘の悪党メンバーが含まれていることについても検討を行い、悪党集団が大規模化していくメカニズムについても、事例の分析と仮説の提示を行うことができた。 平野荘の悪党の中には大部荘近隣の窪木の地頭代の家人が含まれている一方で、大部荘悪党の中にも別人ではあるが、同じ地頭代の家人が含まれている。この主人を同じくする家人同士に注目すれば、平野荘の悪党グループから被官関係を介して大部荘悪党グループが形成されたという筋道が浮かび上がる。すなわち、流通を介して形成された人間関係(一次的な結合)が、メンバーの被官関係などを通じて結合し、より大きな集団(二次的な結合)へと展開していく様相を、大部荘悪党集団の形成の中に見ることができるのである。悪党集団の評価については、例えば兵庫津を襲撃した集団に見られるような広域からの多数の参加者に注目し、広範囲にわたる人的結合が基盤にあったことが主張されることもある。しかし、いくつかのクラスターが個別の人的関係(例えば同じ主人に仕える被官同士といった関係)によって結合し、集団が肥大化していくメカニズムを考慮の内に入れて、悪党集団の形成を考える必要があろう。 以上のように、播磨国の地域秩序、地域政治についての、個別的ではあるが応用可能な事例を分析し、仮説を提示できたことは、本研究が順調に進展していることの証左になると考える。また、この成果は、『明石の歴史』第4号(2021年3月、明石市)に「播磨国明石郡平野荘の悪党」として掲載された。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は悪党事件、合戦のような集団の形成、集団間の対立に注目し、何が媒介となって集団の形成が進むのか、今回提示した仮説の検証も含めながら研究を進めたいと考えている。 まず取り上げたいのは、荘園の所務である。荘園所務が荘園内だけでなく荘園外も含めてどのように行われるのか、一つの荘園だけでなく複数の荘園、所領の所務が同時に進行することを想定すれば、どのような人や物の流れ、人と人との関係が生まれるのかを検討したい。この作業を通じて、今回示した「悪党が地頭代になるのではなく、地頭代が職務を通じて悪党化する」という仮説を検証したい。また、所務の担い手の変化が地域の人的関係にどのような影響を及ぼしたのかについても、あわせて検討したい。 第二に考えたいのは、在地領主、荘官層の族的な広がりとそれを支える媒介である(「族的な広がり」とは一族の所領の広がりや、一族の分布の状態を指す作業仮説的な用語としてここでは使いたい)。播磨国で一族の蟠踞の様子や所領分布の実態を一望できる事例は極めて少ないが、断片的な事例も含め、一族関係の広がりを空間的にはどれほどの範囲を想定して考えればよいのか、そのような広がりがどのような条件(例えば交通体系や荘園諸職の獲得など)で成り立っているのかを考えたい。 第三に課題としたいのが、地域の秩序と中央との関係である。これは、上記の二つの課題-荘園所務、族的広がり-のいずれにも関係する。前者に関しては中央から下向した使者や荘官が地域でどのように活動するのかなどが問題になり、後者に関しては、荘園経営のための諸職宛行や合戦における恩賞授与などが問題となる。中央の地域支配のあり方、地域の意志を中央がどう受け止めるか、中央の関与でつくられた秩序が地域に何をもたらすか、などに注目し、それぞれの局面で地域と中央が絡み合う「新しい政治的空間」がどのように形成されるのかを考えたい。
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